宮下公園(みやしたこうえん、渋谷区立宮下公園)は、東京・渋谷にある公園である。渋谷区神宮前6丁目に所在する。愛称は平仮名表記の「みやしたこうえん」。座標: 北緯35度39分40秒 東経139度42分06秒 / 北緯35.6612度 東経139.7017度 / 35.6612; 139.7017
(仮称)新宮下公園工事状況(2019年8月29日撮影)JR山手線渋谷-原宿間の線路と明治通りに囲まれた細長い形状の公園である。公園は近接する鉄道の築堤とほぼ同じ高さに持ち上げられた人工地盤上に整備されており、下層の一階部分は駐車場となっている。
初めは1930年(昭和5年)頃、東京市都市計画による公園として現在地に開設されたが、現在北側に隣接する「神宮通り公園」と同様に線路の築堤の元にあり、道路と同じ高さに設置されたていた。それが東京オリンピックが開催された1964年(昭和39年)頃に、近接する渋谷川(穏田川)の暗渠化[1][2]とともに公園を高架の人工地盤とされ、その下の地上部分に駐車場が設置された。この際には、「東京初の空中公園」として話題になったという[3]。
2006年(平成18年)にはフットサルコート新設開設、2010年(平成22年)9月から再整備のために一時閉鎖の後、翌年4月に再開した。再整備によりエレベーターが設置されるなどバリアフリー化され、有料のクライミング用ウォールやスケート場が新設されるとともに、人工芝2面のフットサル場も改修された。また、開園時間を毎日正午から午後10時半とし、深夜から午前中にかけては閉鎖される形態となった[4][5]。
公園再整備(2011年) フットサルコート
宮下公園は再整備を経て、2011年(平成23年)に新装開園したが、ここに至る経緯には紆余曲折があった。
公園は近隣地区において貴重な緑地となっていたものの、1990年代以降には多数のホームレスが住みついていた。[6]。また、各所の老朽化もあることから再整備が計画されたが、渋谷区は2009年(平成21年)6月、公園の命名権をナイキ・ジャパンに売却するとともに公園の改修費用の全額を同社の負担とし、有料公園として改修する方針を公表した[7][8]。10年間の契約で命名権を取得したナイキ・ジャパンは、公園を「宮下ナイキパーク」と命名、さらにスケートボード場やクライミング施設、エレベーターなどの整備費として年間1,700万円を支払うこととなった。一方、渋谷区はそれまで公園に住んでいたホームレスのシェルターへの入所支援や、立ち退きの手伝いを行った[6]。
これらの渋谷区の方針に対して、「説明が不十分である」「公共の場である公園を私企業たるナイキのための閉鎖空間化・宣伝媒体として使用している」[9]「ホームレスの強制排除をおこなった」と主張して[8]これらを問題視するアーティスト[6]や市民団体が2010年(平成22年)4月ごろから反対運動を行っている[9][7]。反対派はホームレス立ち退き後の公園を占拠し、カフェと称してコーヒーなどを振舞っていたほか[10]、破れた傘や壊れた自転車などをオブジェと称して公園内に設置していた[6][9]。反対派による動画共有サイトなどでの宣伝を通して海外の一部反グローバリゼーション運動団体がこの動きを支持し、各国の日本大使館前やナイキ店舗前でデモを行った[6]。
これらの反対運動により改修工事は延期され、渋谷区は反対派の公園占拠により区民が公園を利用できなくなっていると反対派を批判した[6]。区は2010年(平成22年)9月15日に公園の出入り口9箇所のうち7箇所を閉鎖し、同月24日に行政代執行を実施してテントなどを撤去し[11]改修工事を開始した。10月14日になり、ナイキは命名権料を支払った上で宮下NIKEパークの名称を使用せず、改修後も宮下公園の名称を存続させることを表明した[12]。
2011年(平成23年)4月21日に反対派の3団体とホームレス1名が渋谷区を相手取り、路上生活者の生活とアーティストの表現活動の場を奪った行政代執行は違法であり、また精神的苦痛を受けたとして、600万円の賠償を求めて東京地方裁判所に提訴した[13]。2015年3月13日、東京地裁は「代執行による撤去前に男性を担ぎ上げて退去させた」点を執行の許容範囲を超えて違法と認めこの男性に11万円の損害賠償を命じ、また区がナイキ社との間で改修費負担を対価として命名権を与える契約を結んだ点を「一般競争入札を実施していない上、必要な議会の議決を得ておらず、地方自治法違反」としたが、行政代執行自体は適法とした[14][15]。
改修工事が終わり、2011年(平成23年)4月30日に公園はリニューアルオープンした。再オープン当日は多くの利用者でにぎわったが、改修反対派が公園前でデモを行い、警察が出動する騒ぎになった[16]。
なお、下記新宮下公園等整備事業による公園閉鎖に伴い、ナイキは2017年3月31日をもって命名権協定を途中解約している[17]。 渋谷駅周辺整備[18]と連動して、新宮下公園等整備事業として、公園の区域変更ならびに立体化が行われる[19]。 渋谷駅東口より北側を見る(2019年7月23日撮影) この公園のある一帯はかつて宮下町と呼ばれ、公園の名称もこの地名に因んでいる。宮下町は1932年(昭和7年)の渋谷区成立時に定められた町域で、渋谷川(現在の旧渋谷川遊歩道路、通称キャットストリート)に沿った南北に細長い低地部が相当し、その東側の高台である美竹町には当時、広大な梨本宮邸があったことから「宮下」の名が付いた。
新宮下公園等整備事業
2014年8月、公募型プロポーザルにより三井不動産株式会社を事業者に決定[20]。
2015年12月、基本協定を締結[20]。
2017年1月20日 - 2月3日、縦覧および意見書の提出[19]
2017年3月27日から工事のため既存公園「みやしたこうえん」の使用を停止[21]。
2018年6月1日 - 工事着工、南街区、北街区とも2020年3月31日の完成を予定している。
新宮下公園等整備事業 - 2019年8月29日現在
宮下町