宮ヶ谷塔
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■宮ヶ谷塔
大字町丁
深作川
.mw-parser-output .locmap .od{position:absolute}.mw-parser-output .locmap .id{position:absolute;line-height:0}.mw-parser-output .locmap .l0{font-size:0;position:absolute}.mw-parser-output .locmap .pv{line-height:110%;position:absolute;text-align:center}.mw-parser-output .locmap .pl{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:right}.mw-parser-output .locmap .pr{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:left}.mw-parser-output .locmap .pv>div{display:inline;padding:1px}.mw-parser-output .locmap .pl>div{display:inline;padding:1px;float:right}.mw-parser-output .locmap .pr>div{display:inline;padding:1px;float:left}■宮ヶ谷塔宮ヶ谷塔の位置
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度56分36.02秒 東経139度40分23.3秒 / 北緯35.9433389度 東経139.673139度 / 35.9433389; 139.673139
日本
都道府県 埼玉県
市町村 さいたま市
見沼区
地域大宮市
人口(2017年平成29年〉9月1日時点)[1]
 ? 合計692人
等時帯UTC+9 (日本標準時)
郵便番号337-0011[2]
市外局番048[3]
ナンバープレート大宮

宮ヶ谷塔(みやがやとう)は、埼玉県さいたま市見沼区町丁および大字。現行行政地名は宮ヶ谷塔一丁目から宮ヶ谷塔四丁目および大字宮ヶ谷塔。住居表示未実施地区[4]郵便番号は337-0011[2]。本項では、かつて同地域に存在した北足立郡宮ヶ谷塔村(みやがやとうむら)についても記す。
地理

さいたま市見沼区東端部に位置する。町域は主に綾瀬川沿いの低地で、一部が細長い大宮台地上にあり古くからある民家や神社が立地する[5]。綾瀬川沿いに自然堤防(微高地)があり、そこに江戸期からの集落がある[5]。西で小深作深作飛地)に・東門前(飛地)に、北で深作・卸町に、南で東宮下に、東で岩槻区岩槻並木加倉に隣接する。

概ね綾瀬川の右岸にあたり、中央を深作川国道16号東大宮バイパス岩槻春日部バイパス)が縦貫、南部を埼玉県道2号さいたま春日部線東武野田線(東武アーバンパークライン)が横断する。

綾瀬川の対岸飛地を除く、概ね埼玉県道2号さいたま春日部線以北が宮ヶ谷塔一丁目 - 四丁目で、残部が大字宮ヶ谷塔である。

縄文時代後期の縄文遺跡である鍛冶屋遺跡がある[6]
河川

綾瀬川

深作川

歴史

みやがやとうむら
宮ヶ谷塔村
廃止日
1892年9月21日
廃止理由新設合併
丸ヶ崎村小深作村深作村、宮ヶ谷塔村 → 春岡村
現在の自治体さいたま市
廃止時点のデータ
日本
地方関東地方
都道府県埼玉県
北足立郡
市町村コードなし(導入前に廃止)
総人口368人
(埼玉県市町村誌、1889年
隣接自治体深作村、小深作村、風渡野村東宮下村東門前村
宮ヶ谷塔村役場
所在地埼玉県北足立郡宮ヶ谷塔村
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地名の由来

鎮守であった氷川神社(宮)と、谷戸があったことから「宮ヶ谷戸」と呼ばれ、その表記が変化したもの[7]
沿革

もとは江戸期より存在した武蔵国足立郡南部領に属する宮ヶ谷塔村であった[6]。『武蔵国田園簿』では宮ケ谷戸村とも記されているが、『元禄郷帳』では宮ヶ谷塔村と記されている。地勢上綾瀬川に近く、水利には恵まれていた反面、大水の被害に度々見舞われていたという[6]。村高は正保年間の『武蔵田園簿』では350(田19反余、畑15町5反余)、『元禄郷帳』および『天保郷帳』では350石余で以降は増減なしであった[6]助郷日光御成街道岩槻宿に出役していたが、寛保宝暦年間は中山道大宮宿にも出役していた[6]化政期の戸数は50軒で、村の規模は東西5、南北2町余であった[6]

1590年天正18年)より知行は旗本岡部氏、1772年安永元年)より幕府領となる[6]。なお、検地年代は不詳。

1828年文政11年)より岩槻宿寄場西組39か村組合に所属[6]

幕末の時点では足立郡に属し、明治初年の『旧高旧領取調帳』の記載によると、代官大竹左馬太郎管轄の幕府領であった[8]

1868年慶応4年)6月19日 - 幕府領が武蔵知県事・山田政則(忍藩士)の管轄となる。

1869年明治2年)

1月13日 - 武蔵知県事・宮原忠英の管轄区域に大宮県を設置。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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