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室蘭本線列車衝突事故
発生日1947年(昭和22年)3月31日
発生時刻17時43分ころ (JST)
国 日本
場所室蘭本線・長万部起点13.810km付近、第二静狩隧道内
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯42度35分15秒 東経140度29分37秒 / 北緯42.587435度 東経140.493722度 / 42.587435; 140.493722
室蘭本線列車衝突事故(むろらんほんせんれっしゃしょうとつじこ)とは、1947年(昭和22年)3月31日に運輸省鉄道総局(国有鉄道)室蘭本線で発生した列車衝突事故である。 1947年(昭和22年)3月31日17時43分ごろ、室蘭本線静狩駅 - 小幌信号場間で下り旅客225列車(C51形蒸気機関車235号機・7両編成)と上り臨時貨物5388列車(D52形蒸気機関車47号機・46両編成)が正面衝突した。衝突寸前に両列車ともに互いを認め非常ブレーキをかけていたが間に合わなかった。旅客列車は機関車が脱線大破、客車2両目は同1両目に3分の2ほど食い込み共に大破。貨物列車は機関車が脱線大破、貨車1両目(石炭積)は機関車の炭水車の下に食い込み、同2両目(馬積)は同3両目(石炭積)と機関車の炭水車に乗り上り、いずれも大破した。これにより乗客4名が死亡、ほか乗客乗員計60名が重軽傷を負った。 室蘭本線静狩駅-小幌信号場間は内浦湾に面した急峻な崖沿いをいくつものトンネルを穿って建設され、また小幌信号場は同区間のわずかな平地と空間を利用して建設された、いわゆる「煙管型信号場[1]」である。下り列車は礼文華山(れぶんげさん)隧道入口手前で停車するが、上り列車は駅本屋から幌内隧道(延長318メートル)を抜けた先の美利加浜(ぴりかはま)隧道との間の20メートルほどの隙間に機関車の頭を出して停車する。この関係で通票の授受が困難であり、静狩駅-小幌信号場-礼文駅間には信号場開設当初より連動閉塞が採用された。信号場全体としては長万部方から美利加浜隧道、幌内隧道、礼文華山隧道の3つの隧道に跨っている。 また空間の関係から上り線には美利加浜隧道内に安全側線が設置されたが、下り線には礼文華山隧道内に脱線転轍機が設置された。 1947年の静狩 - 小幌配線概略図 凡例←旭浜信号場
概要
小幌信号場の特殊事情
/長万部駅方面 礼文駅/
東室蘭駅
方面→
静狩駅 小幌信号場
├○ 下本線出発信号機
第二静狩隧道第一辺加牛隧道美利加浜隧道幌内隧道礼文華山隧道