むろた ひでお
室田 日出男
本名室田 日出男
生年月日 (1937-10-07) 1937年10月7日
没年月日 (2002-06-15) 2002年6月15日(64歳没)
出生地 日本、北海道小樽市
職業俳優
ジャンル映画・テレビドラマ
活動期間1957年 - 2002年
配偶者あり(大部屋女優)[1]
主な作品
映画
『0課の女 赤い手錠』
『資金源強奪』
『戦後猟奇犯罪史』
『やくざの墓場 くちなしの花』
『人妻集団暴行致死事件』
『影武者』
『野獣死すべし』
『魔界転生』テレビドラマ
『ジャイアントロボ』
『キイハンター』
『超人バロム・1』
『人形左七捕物帳』
『前略おふくろ様』
『琉球の風』
受賞
ブルーリボン賞
助演男優賞
1992年『死んでもいい』『修羅の伝説』
その他の賞
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室田 日出男(むろた ひでお、1937年(昭和12年)10月7日 - 2002年(平成14年)6月15日) は、日本の俳優。北海道小樽市奥沢町出身[2]。小樽市立潮見台中学校[3]?北海道札幌東高等学校卒業。息子は俳優の室田晃。代表作は映画『男はつらいよ 噂の寅次郎』やテレビドラマ『ふぞろいの林檎たちII』[4] など。身長180cm[5]。 父親は石川県能登の庄屋の息子で、日露戦争をきっかけに、小樽に移住[2]。母親は小樽生まれ[2]。父親は「馬追」「馬力屋」と言われる[6]、馬車や馬そりを使った今で言う運送業をしていた[2][6]。子供の頃の室田は、近くの川(勝納川)や山、そして朝里などの海岸に、仲間とよく出かけるなど、自然に親しむ毎日を送り、三日でも四日でも海のそばにいて帰宅しなかったこともあったという[2]。小学校3年のとき父が、中学2年のとき母を相次いで失い[6]、札幌市で年の離れた姉夫婦に育てられる[2][5][6]。終戦直後はどこでもどぶろくを密造しており[5]、室田は小学生のときから隠れてどぶろくを飲んでいた[5]。中2ですすきので童貞を捨て[6]、札幌東高校時代にはすでに「酒と喧嘩と女の日々」だったという[6]。 北海道大学を受験したが失敗し[6]、予備校に通うため、東京でタクシー会社を経営していた義兄を頼り上京[6]。姉に勧められ1957年、東映ニューフェイス第4期で入社[5][6]。同期には佐久間良子、花園ひろみ、山口洋子、山城新伍などがいる。役者になるつもり全くなかったが[6]、当時の室田に宝田明が会っていれば、俳優を断念したかも知れないというほどの二枚目だったと自分で話している[7]。酒の席と仕事上の喧嘩で端正な顔が歪んだという[7]。東映から「本名は覚えづらいから芸名にしろ」と言われたが[8]、「芸名にしたらスターにしてくれんのか」とツッパリ、本名でデビューする[8]。 ニューフェイスは幹部候補生で[6]、当時の東映はひっきりなしに映画を撮っていた頃だったから[5]、本来は次々に映画に出演してスターダムにのし上がってもおかしくなかったが[5]、ウイスキーをボトルでラッパ飲みする酒豪で[6]、酒ぐせが悪く、最初は演技もヘタで、喧嘩もしょっちゅう[6][5]。飲み屋で喧嘩する、飲み過ぎて撮影に遅刻する、持ち前の正義感から俳優組合の旗を振るで、干されの室田の異名をとり[1]、仕事にありつけず[1][5][6]。たまに貰った仕事で東映新記録といわれたNG34回を出した[1]。この映画の助監督を務めたのが深作欣二と山口和彦で[1]、同じ冷飯組だった深作は同病憐れむ仲で[6]、陰に陽に室田を引き立て[6]、その後も自身の作品で室田をよく起用した[1]。
来歴