室津島
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室津島
1993年7月14日撮影の航空写真。中央に見える岩礁群のうち最も高い北西の岩島が森磯島、神社と灯台がある東の岩島が水上岩である。また北北東の隅には岩礁群「地(おか)ノハッピ」が見える。国土地理院地図・空中写真閲覧サービス[1]の画像より抜粋。
所在地 日本
所在海域日本海
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯42度0分52.6秒 東経139度27分6.2秒 / 北緯42.014611度 東経139.451722度 / 42.014611; 139.451722座標: 北緯42度0分52.6秒 東経139度27分6.2秒 / 北緯42.014611度 東経139.451722度 / 42.014611; 139.451722
面積0.017 km²
最高標高10 m
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室津島(むろつじま、むろつしま)とは、北海道奥尻郡奥尻町に属する奥尻島の南端、青苗岬の南約4kmに浮かぶ無人の岩礁群である。
概要

森磯島(最高標高10m)・水上(みずかみ)岩(最高標高6m)・無名(むめい)島のほか、北東に位置する岩礁群「地(おか)ノハッピ」や「沖ノハッピ」などにより構成される。


1920年代前半までは30頭ほどのトドの上陸が確認されていたが、その後は見られなくなっている[1]

海上自衛隊掃海艇むろつの名称は、この室津島に由来する。
歴史

『蝦夷地名解』(北海道立文書館所蔵)では、「ムルチ島」について奥尻島の「アヲナイサキ」から1程南の方にあり「周回」は1里あまりとしている。また「私領之節二月頃より四月頃まてヲツトセイをとる」との記述も見える。

文政9年(1826年)頃の作と推定される高橋景保の蝦夷図には「ムルヂ」として記載されている[2]

天保4年(1833年)に奥尻島を調査した今井八九郎による『奥尻島測量製図』では、「アヲナイ」から「凡一里半ヨ」の距離に「モリエシヨ」が記されている[3]

弘化3年(1846年)の調査記録である松浦武四郎の著書『再航蝦夷日誌』では、「モシリショ島」(原文ママ)ついて奥尻島から「凡壱里も隔つと思わる」としており、また「膃肭臍多く住るよし」としている[4]

安政5年(1858年)頃の作と推定される薮内於菟太郎著『蝦夷全地』所収の地図では、「字モロチシマ」「廻廿丁」とあり大小二つの島を描いている。また奥尻島の「アカ川」および「アヲナイ岬」から「渡海凡一里」であるとしている[5]


1896年刊行の『檜山爾志久遠奥尻太櫓瀬棚郡役所管内之図』では、室津島と森磯島の名称が見える[6]

1898年刊行の『日本水路誌』には「室津(モロツ)ノ島」として見え、「黒岩ノ数多塊ヨリ成リ其内最高キモノハ高潮面上高サ二十五」とある[7]

1917年の測量図では室津島のほか沖ノハッピの名称が記載されている[8]。また1928年刊行の海図では室津島(Murotu Sima)・森磯島・沖ノハッピの名称が記載されている[9]

2004年9月の平成16年台風第18号では高波によって神社が流出した[10]
脚注[脚注の使い方]^平成27年度国際漁業資源の現況57 トド 北太平洋沿岸・オホーツク海・ベーリング海 水産庁水産総合研究センター
^ NDLJP:1286172
^今井八九郎北方測量関係資料 e国宝 国立博物館所蔵 国宝・重要文化財
^日本歴史地名大系』第1巻(北海道の地名)、平凡社、2003年、456頁。ISBN 978-4-582-49001-5
^西蝦夷地ヲクシリ島絵図面 北方資料データベース
^檜山爾志久遠奥尻太櫓瀬棚郡役所管内之図 北方資料デジタル・ライブラリー
^ 『日本水路誌』第5巻(北洲全部及北島諸島)、海軍省水路部、1898年、164頁。


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