宣穆劉皇后(せんぼくりゅうこうごう、? - 409年)は、中国の北魏の道武帝の妃で明元帝拓跋嗣の生母。皇后として追尊された。 匈奴独孤部の酋長の劉眷の娘として生まれた。兄に劉羅辰がいる。登国初年、道武帝にとついで夫人となり、華陰公主を生んだ。391年(登国6年)、拓跋嗣を生んだ。後に後宮を取り仕切るようになったが、金人の鋳造を命じられて完成しなかったため、皇后位に登ることはなかった。拓跋氏の風習では、後宮で生まれた子が後嗣となると、その母はみな死を賜ることとなっていた。409年(天賜6年)7月、旧法にしたがって死去した。同年(永興元年)10月、宣穆皇后の諡号が贈られて追尊された。
生涯
伝記資料
『魏書』巻13 列伝第1
『北史』巻13 列伝第1
更新日時:2019年6月20日(木)08:00
取得日時:2019/07/27 05:01