この項目では、国際法上の外交用語について説明しています。麻生幾の小説及びその映画化作品については「宣戦布告 (小説)」を、競走馬については「デクラレーションオブウォー」をご覧ください。
宣戦布告(せんせんふこく、英: declaration of war)とは、紛争当事者である国家が相手国に対して戦争行為(hostilities)[1]を開始する意思を表明する宣言である。 宣戦とは紛争当事国に戦意があることを公式に宣言すること。つまり宣戦布告とは、相手国や中立国に対し、戦争状態に入ることを告知することであり、開戦と同義に用いられることが多いが狭義には異なる用語である。一般的には戦争開始前の事前警告として最後通牒が交付される。交渉が決裂し、外交交渉が打ち切りとなれば双方の駐箚(ちゅうさつ=駐在)外交団が引き揚げる。これをもって国交の断絶という場合が多い。 この外交通告の習慣はルネサンス時代に始まったが、1904年の日露戦争が宣戦布告なく始められたこと(2日前にロシアに対して最後通牒していたので問題はないと中立国の中ではされていた)を契機に1907年の万国平和会議で討議され[2]、10月18日に署名された「開戦に関する条約」で初めて国際的なルールとして成文化された。この条約で宣戦布告の効力は相手国が受領した時点で発生すると定められた。しかし当時はほとんど尊重されず、第一次世界大戦後に国際連盟が改めて定めた。 宣戦布告が行われない国家間の武力紛争においては、通告を受けない第三国に中立法規の適用はなく、第三国は紛争当事国と平時同様の外交関係を保つことが認められる。国交断絶状態でも戦争と判断されるとは限らない。第一次世界大戦後には高度な武力紛争状態であっても、戦争状態ではないとして戦時国際法の適用を免れようとする事例もしばしば存在した。 「開戦に関する条約」は第三条に総加入条項(条約の非締約国が一国でも参戦すれば、そのときから交戦国たる締約国相互間にも条約が適用されなくなるという趣旨のもの[3])が規定されており、イタリアはこの条約に署名したものの批准しておらず、第二次世界大戦に関わる各国の宣戦布告状況は非常に複雑なものとなった。第二次エチオピア戦争では正式な宣戦布告は行われなかった。 第二次世界大戦では多くの国家間で宣戦布告が行われたが、この時期に多くの戦線で戦端の口火を切ったナチス・ドイツはほとんどの戦線において正式な宣戦布告なしに開戦を行っている。また大日本帝国も日中戦争(支那事変)では宣戦布告を経ていない。対米英宣戦布告は真珠湾攻撃・マレー作戦開始の後だった。
概要
個別的自衛権、集団的自衛権、いずれを発動した場合も、相手国(組織)への宣戦布告および国連安全保障理事会への報告さえあれば正当な武力行使と内外に認定されるわけでは全くない。国際的には憲章第29条による国際戦犯法廷や国際司法裁判所(ICJ)によって開戦理由の正当性や戦争犯罪人が審判されることとなる(e.g. 旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷、ルワンダ国際戦犯法廷、ニカラグア事件)。
なお、その武力行使の正当性について相手国から宣戦布告が行われたためと相手国に責任転嫁しようとする事例が存在する。エチオピア・エリトリア国境紛争では、紛争勃発後の1998年に行われたエチオピア側のエリトリア非難をエリトリア側が「エチオピア側の宣戦布告」であると宣言し、エチオピア領内に侵攻した事例がある。しかし、両国の外交関係は継続しており、エチオピアのエリトリア非難を宣戦布告と認めた国や機関は皆無であった[4]。同様に、2012年の南スーダン・スーダン国境紛争においては、南スーダン共和国大統領サルバ・キール・マヤルディがスーダン共和国(北スーダン)側から宣戦布告が行われたと責任転嫁発言を行った[5]。