宣伝中隊
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ドイツ新聞雑誌帝国連盟(ドイツ語版)報道カメラマン帝国委員会主催の宣伝中隊写真展(1940年3月)

宣伝中隊(Propagandakompanie, PK)または宣伝部隊(Propagandatruppe)とは、ナチス・ドイツ時代のドイツ国防軍及び武装親衛隊に設置されていた部隊。ドイツの軍民及び敵対国に対するプロパガンダを任務とした。
目次

1 宣伝中隊の歴史

1.1 国防軍宣伝部

1.2 宣伝部隊の拡大


2 活動と編成

3 参考文献

4 外部リンク

5 脚注

宣伝中隊の歴史 1941年1月28日、宣伝相ゲッベルス博士と会談する国防軍の宣伝中隊指揮官ら。右端はハッソ・フォン・ヴェーデル(ドイツ語版)

1938年初頭、国防軍最高司令部(OKW)総長ヴィルヘルム・カイテル将軍と宣伝相ヨーゼフ・ゲッベルスは「戦時宣伝の実施に関する合意書」(Abkommen uber die Durchfuhrung der Propaganda im Kriege)なる文書に署名した。この文書の中では、OKW所属の宣伝部隊が定期的に戦時宣伝の材料を宣伝省(RMVP)に供給する事が取り決められていたが、同時に戦時宣伝そのものは総統から権限を与えられている宣伝省がもっぱら担うこととされていた[1]。この合意に基づき、5個の宣伝中隊が設置されたのである。これらの部隊は当初通信隊(ドイツ語版)の元に置かれていたが、1942年10月14日には独立した兵科となり、ライトグレーの兵科色が与えられた。彼らは国防軍最高司令部内に設置された国防軍宣伝局(Amtsgruppe fur Wehrmachtspropaganda, WPr)によって管轄され、宣伝局長はハッソ・フォン・ヴェーデル(ドイツ語版)大佐だった。
国防軍宣伝部

1939年4月、国防軍宣伝部(Abteilung fur Wehrmachtspropaganda)が情報部長ヴィルヘルム・カナリス提督の命令により設置される。宣伝部はOKW情報部の指揮下にあったが、1939年夏頃からは作戦部長アルフレート・ヨードル将軍の直轄に置かれる事になる。そして1942年には新たな指揮官としてヴェーデルを迎え、より規模と権限を強化した国防軍宣伝局(Amtsgruppe fur Wehrmachtspropaganda, WPr)へと発展したのである。当初、宣伝局はWPr IからWPr IVまでの4グループに分けられていた。WPr Iでは宣伝局の運用および戦時宣伝の指揮を、WPr IIでは国内宣伝を担当した。またWPr IIIは当初海軍宣伝を目的に設置されていたが、戦争が始まると軍内部での検閲も任務に加えられた。WPr IVは最も規模が大きいグループで対外宣伝を担っていた。WPr IVの指揮官はアルブレヒト・ブラウ中佐(Albrecht Blau)で、外国語雑誌の出版や対外報道を行い、同時に海外報道への応答(敵国宣伝放送の否定など)を行なった[2]。1940年1月、新たに陸軍宣伝を担うWPr Vと空軍宣伝を担うWPr VIが設置された。WPr Vは心理戦の専門家として知られるクルト・ヘッセ中佐(Kurt Hesse)に率いられていたが、ヴァルター・フォン・ブラウヒッチュ元帥の命令による独自の戦時宣伝展開を試み、ゲッベルス率いる宣伝省と軋轢を生むこととなる[3]
宣伝部隊の拡大

1942年末までに、宣伝部隊は師団に相当する15,000名程度まで規模を拡大した。これらの隊員により、21個の軍宣伝中隊(Armee-PK)、8個の空軍宣伝中隊(Luftwaffen-PK)、3個の海軍宣伝大隊(Marine-Propagandaabteilungen)、1個の独立海軍宣伝中隊(unabhangige Marine-PK)、8個の占領地宣伝大隊(Propagandabteilungen in den besetzten Gebieten)、1個の親衛隊宣伝大隊(SS-Propaganda-Bataillon)、そして特殊心理戦を担う特別宣伝大隊(Propaganda-Einsatz-Abteilung)が編成されていた[4]。彼らは最終的に80,000語にも渡る戦争報道と200万以上の写真を作成した。宣伝部隊が特に重視した任務はニュース映画『ドイツ週間ニュース』の作成であった。また大ドイツ放送局(ドイツ語版)による毎年のクリスマス中継放送(ドイツ語版)(Weihnachtsringsendung)も、宣伝部隊によって提供されていた[5]
活動と編成 ライン川上流付近で活動するPK隊員とスピーカ付放送車輌(1939年) フランスにてポスターの掲示を行うPK隊員(1940年5月) 占領下のフランスで掲示されるPKによる反英ポスター(1940年6月) 最前線でマイクを握るPK隊員 (1940年12月) カメラにフィルムを詰めるPK隊員。占領下のポーランドにて、ドイツの秩序警察とポーランド警察が協同捜査を行う様子を撮影している(1941年1月) ウッチ・ゲットーユダヤ人を撮影するPK隊員(1940年)

宣伝中隊の活動と編成については、1943年にOKWと宣伝省国防課が協同で作成した「宣伝中隊野戦教範」(grundlegendes Feldhandbuch der PK)なる文書にて定められている。

PKは、軍上級司令部(Armeeoberkommando, AOK)に従属する。

PKの主たる任務は、作戦区域における宣伝および戦況確認である。

作戦区域にて収集した情報を宣伝省に報告し、対敵宣伝戦に利用する。

PK長はAOK副官の指揮下に入り、国防軍情報部員と協同で任務に就く。


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