日本の政党実業同志会 / 国民同志会
じつぎょうどうしかい / こくみんどうしかい
成立年月日1923年(大正12年)4月23日
解散年月日1932年(昭和7年)1月24日
解散理由武藤山治会長の政界引退
政治的思想・立場自由主義[1]
立憲主義[1]
経済的自由主義[1]
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実業同志会(じつぎょうどうしかい)は、大正末期から昭和初期にかけての日本の政党である。1929年(昭和4年)に国民同志会(こくみんどうしかい)と改称するが、国民同志会についてもこの項で扱う。 第一次世界大戦後の戦後恐慌の状況の中で、鐘淵紡績社長武藤山治は政界浄化・産業振興・悪税撤廃などを唱え、1923年(大正12年)4月23日に実業同志会を組織した。翌年の第15回衆議院議員総選挙では、営業税撤廃や電話・鉄道民営化などの経済的自由主義を公約に34名の候補者を擁立し、8名が当選した。 1926年(大正15年)より実業同志会は政友本党と提携していたが、1928年(昭和3年)に立憲政友会と地租・営業収益税の廃止などを条件に協定を結び、田中義一内閣に協力するようになった。田中内閣は協定に基づき、地租と営業収益税を地方税化する両税委譲法案を提出し、衆議院は通過したが貴族院では審議未了廃案となった。 1929年(昭和4年)4月17日の党大会で、貴族院改革と金解禁実行を政策に加え、国民同志会と党名を改めた。 しかし党勢が伸び悩む中、1932年(昭和7年)1月に衆議院が解散されると、武藤は不出馬を表明し、国民同志会は解散した。
概要
脚注^ a b c “世界大百科事典 第2版「実業同志会」
参考文献
青野権右衛門(昆堂)編『日本政党変遷史』安久社、1935年。
表
話
編
自由党系
愛国公党
自由党
自由党(立憲自由党)
憲政党
立憲政友会(昭和会)
政友本党
東洋自由党
革新倶楽部(新正倶楽部)
革新党
改進党系
立憲改進党
進歩党
憲政本党
立憲国民党(革新倶楽部)
立憲同志会(中央倶楽部)
憲政会
立憲民政党(国民同盟)
その他
立憲帝政党
立憲革新党
実業同志会
大同倶楽部
又新会
革新党派
(無産政党)
労働農民党
東洋社会党 → 社会民主党 → 日本社会党 →(農民労働党)労働農民党 → 日本農民党/社会民衆党/日本労農党/新労農党/無産大衆党 → 日本大衆党 → 全国大衆党 → 全国労農大衆党 → 社会大衆党/日本無産党
その他
自由党左派
車会党
日本共産党(第一次/第二次)
国粋主義政党
国民協会 (日本 1892-1899)
国民協会 (日本 1933-1937)
東方会
立憲養正會
翼賛政治会
大政翼賛会
Category:戦前日本の政党
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