宝富士大輔
[Wikipedia|▼Menu]
.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}この項目には、一部のコンピュータや閲覧ソフトで表示できない文字(Microsoftコードページ932はしご高))が含まれています(詳細)。

宝富士 大輔


基礎情報
四股名宝富士 大輔
本名杉山 大輔
愛称パンダ、角界のマツコ、たーたん
生年月日 (1987-02-18) 1987年2月18日(37歳)
出身青森県北津軽郡中泊町
身長186.0cm
体重171.0kg
BMI49.4
所属部屋伊勢ヶ濱部屋
得意技左四つ・寄り
成績
現在の番付西前頭16枚目
最高位西関脇
生涯戦歴633勝643敗(91場所)
幕内戦歴513勝582敗(73場所)
優勝三段目優勝1回
敢闘賞1回
データ
初土俵2009年1月場所
入幕2011年7月場所
趣味音楽鑑賞
備考
金星3個(白鵬1個、鶴竜1個、稀勢の里1個)
2024年5月26日現在■テンプレート  ■プロジェクト 相撲

宝富士 大輔(たからふじ だいすけ、1987年2月18日 - )は、青森県北津軽郡中泊町出身で伊勢ヶ濱部屋所属の現役大相撲力士。本名は杉山 大輔(すぎやま だいすけ)。愛称は、パンダ、角界のマツコ(・デラックス)、たーたん。身長186.0cm、体重171.0kg、血液型はAB型。得意手は左四つ、寄り。最高位は西関脇2016年9月場所)。趣味は音楽鑑賞。好物はオムライス納豆。嫌いなものは特になし。いわゆる「花のロクイチ組」の1人[1]
来歴

1987年2月18日に誕生。予定日より2週間早い誕生であったが、体重は3250gあった。[2]小学生時代は勉強をよく行い、クラスの友達と漢字テストの競争を行って、毎朝早く起きて30分くらい一生懸命覚えていた。[2]小学3年から父がコーチを務める地元の相撲道場(中里道場)に通い、週2回から3回稽古を行っていたが、当時は無理やり始めたようなもので、乗り気ではなかった。[2]中学は中泊町立中里中学校に進学した。中学2年生の頃には母親にポツリと「やめたい」と口にしており、高校に進学したら相撲を辞めるつもりであったが、3年生の夏ごろから急に力が付き、その年の夏の都道府県中学生選手権で個人3位に入賞。[2]まさかそれほどの成績を残せるとは思いもよらなかったので、母も杉山も驚き、うれしく思い、これにより相撲を続けようという気持ちになったという。[2]この時点で複数の部屋よりスカウトされるものの、入門はせずに五所川原商業高等学校に進学。高校時代は母が30分かけて送り迎えをしていた。高校ではインターハイや国体で個人ベスト8とに入賞したこともあり、そのまま勧誘されて近畿大学へ進学した。[2]大学3年時に全国学生相撲選手権大会準優勝を果たし、大学時代には個人タイトル6冠を獲得した。大学卒業と同時に高校・大学の先輩である年寄・9代伊勢ヶ濱(元横綱旭富士)が師匠を務める伊勢ヶ濱部屋に入門し、2009年1月場所において初土俵を踏んだ。高校時代に学校で伊勢ヶ濱部屋の合宿があり、そこで部屋と交流したことが入門につながった。[2]
入門後

序ノ口序二段をそれぞれ1場所で通過し、三段目へ昇進した同年7月場所では7戦全勝で三段目優勝を果たして、三段目も1場所で通過した。翌9月場所において幕下へ昇進し、その場所から3場所連続しての勝ち越しを決めた。自己最高位である西幕下2枚目の位置まで番付を上げた2010年5月場所では3勝4敗と自身初となる負け越しを記録したものの、翌7月場所では西幕下5枚目の位置で5勝2敗と勝ち越しを決め、翌9月場所において新十両へ昇進した。十両へ昇進してからも勝ち越しを続け、2011年7月場所において新入幕を果たした。
新入幕場所以降

新入幕となった2011年7月場所では4勝11敗と大きく負け越し、翌9月場所では十両に陥落した。同年11月場所で再入幕を果たしたものの、その11月場所でも負け越して1場所で十両へ陥落した。2012年3月場所において3回目の入幕を果たし、その3月場所ではまた負け越してしまったものの、東前頭16枚目の位置で迎えた翌5月場所では10日目の時点で8勝2敗と好調ぶりを示し、11日目から4連敗を喫したものの、最終的には9勝6敗と幕内では自身初となる勝ち越しを果たした。しかし、翌7月場所では6勝9敗と負け越し、続く9月場所でも5勝10敗と大きく負け越して、翌11月場所では十両へ陥落した。翌2013年1月場所において4回目の入幕を果たし、その1月場所では2日目から8連勝して幕内では自己最速となる9日目での勝ち越しを決め、結果的には9勝6敗の成績を挙げた。翌3月場所では幕内では自身初の二桁勝利となる11勝4敗の好成績を挙げた。

2014年5月場所には自己最高位となる西前頭2枚目の位置まで番付を上げたものの、初日から11連敗を喫してしまい、結果的には4勝11敗と大敗した。同年9月場所では10日目に稀勢の里を破って自身初となる大関戦での勝利を挙げ、14日目にも大関・豪栄道を破り、東前頭4枚目の位置で8勝7敗と勝ち越しを果たした。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:73 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef