宝塚音楽学校
過去の名称宝塚音楽舞踊学校
国公私立の別私立学校
学校種別各種学校
設置者学校法人宝塚音楽学校
校訓清く 正しく 美しく
設立年月日1919年
創立者小林一三
共学・別学男女別学(女子)
学期2期制
学校コードH228310000663
所在地〒665-0844
兵庫県宝塚市武庫川町1番1号.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯34度48分23.7秒 東経135度20分50秒 / 北緯34.806583度 東経135.34722度 / 34.806583; 135.34722
宝塚音楽学校(たからづかおんがくがっこう)は、日本の兵庫県宝塚市に校舎を置く私立学校。
予科・本科合わせて2年制の、宝塚歌劇団団員養成所であり、学校教育法上は兵庫県認可の各種学校となっている[1]。
阪急電鉄の出捐で設立した。設置者は学校法人宝塚音楽学校(兵庫県知事所轄、各種学校)。
現在の理事長は村上浩爾[2]。宝塚歌劇団理事長と兼任[2]。校長は中西達也。 入学試験は毎年3月末に行われる。2000年度以降の生徒定員(上限数)は50人[6]であるが、2008年度以降の合格者数は約40人となっている。
基本情報武庫川の畔にある校舎。左隣は宝塚大劇場
修業年限:予科1ヵ年 本科1ヵ年 女子単学
前期(4月1日より9月末日)
後期(10月1日より3月末日)
休業日:日曜日・祝日・春季休暇(約30日間)・夏季休暇(約30日間)・正月休暇(約10日間)
授業時間:午前9時より午後5時(予科生は、授業開始前の掃除が日課)
通常、昼間は実技中心の授業、夜は個人レッスンに励む。
制服:洋服(制服・制帽・コート類その他)、和服(緑の袴・黒紋付…色物着用の時もある)
校舎:延床面積3,170平方メートル
専門教室(洋舞・日舞・和楽器演奏・ピアノ声楽・演劇)、ホームルーム、校長室、副校長室、職員室、応接室、保健室、会議室、講堂
モットー:「清く 正しく 美しく」(小林一三の遺訓は更に前に「朗らかに」が追加された)
歴代校長
小林一三(創立時?)
森隼三(1940年11月?)
引田一郎(1947年2月?)
小林一三(1951年9月?)
引田一郎(1956年11月?)
熊野紀一(1970年12月?)
田辺節郎(1985年7月?)
寺井良樹(1991年7月?)
小林公平(1996年8月?)
岩ア文夫(2010年4月?)
伊木常雄(2014年10月?)
小林公一(2017年4月?)
中西達也(2021年4月?)
沿革宝塚音楽学校旧校舎(現宝塚文化創造館)
1913年(大正2年)
7月 - 小林一三が宝塚唱歌隊を設立[3]。
12月 - 宝塚少女歌劇養成会と改称[3]。
1914年(大正3年) - 宝塚新温泉パラダイス劇場で第1回公演[4]。演目は『ドンブラコ』『浮れ達磨』『胡蝶』の三本立て[4]。
1919年(大正8年)1月 - 養成会を解散し宝塚音楽歌劇学校を設立[5]。宝塚音楽歌劇学校生徒と卒業生で宝塚少女歌劇団を組織[6] (学校と歌劇団は同体[7])。
1922年(大正11年)6月 - 初の運動会を開催する。
1923年(大正12年) - 入学年齢を数え年13 - 19歳とする[6]。
1939年(昭和14年)12月 - 宝塚音楽舞踊学校と改称し、学校と歌劇団を分離[8]。
1940年(昭和15年)10月 - 宝塚少女歌劇団を宝塚歌劇団に改称[8]。
1946年(昭和21年)4月 - 宝塚音楽学校に改称[7]。予科一年制。
1947年(昭和22年) - 入学年齢を数え年16 - 18歳とする[6]。
1949年(昭和24年) - 学則改定により、入学年齢は数え年17 - 18歳[6]、卒業後の進路は自由となる。
1951年(昭和26年) - 準学校法人となる。
1953年(昭和28年) - 入学年齢は満15 - 18歳となる[6]。
1957年(昭和32年) - 予科・本科の二年制となる(第45期生より)[6]。
1987年(昭和62年)10月 - 小林公平が理事長就任
1996年(平成8年)8月 - 小林公平が校長就任。
1998年(平成10年)12月 - 新校舎落成、現在の校舎に移転[6]。
2009年(平成21年)3月 - 入学試験方法を大幅に変更[6]。
4月 - 音校旧校舎が宝塚市立宝塚文化創造館としてオープン。
2010年(平成22年)4月1日 - 角和夫が理事長に就任、岩崎文夫が校長に就任、小林公平が名誉校長に就任。
2013年(平成25年)7月17日 - 創立100周年記念式典が宝塚大劇場で開催される。
特色
毎日、声楽・バレエ・日舞など、劇団で必要な事柄について、みっちりレッスンが組まれている。その他の授業には、モダンダンス・タップダンス・演劇、ピアノなどがある。授業の後もすみれ寮でのレッスンがあり、忙しい毎日を送っている。
小林一三による「朗らかに、清く、正しく、美しく」の教えに基づき、礼儀作法やマナーも厳しく、早朝から予科生が稽古場を丁寧に掃除していることは有名である。
1989年より毎年全生徒が陸上自衛隊伊丹駐屯地で基本教練の研修を受けている[9]。
かつては「女士官学校」と呼ばれるほどに厳しさは有名であった。昭和中期には現在に比べると大量の生徒を入学させていたが、同時に多数の落第者を出していた。当時は、夏長期休暇の際にはすべての生徒が家に帰宅させられ、後日通知のあった生徒のみ後期に進めるという厳しいものだった。現在も中退者が出ることがあるが、その中には自主退学した後、復学・卒業した者もいる[10]。
入学試験
競争倍率
2016年度の受験者数は1,079人、倍率は27.0倍である[11]。