宝塚記念
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宝塚記念
Takarazuka Kinen
[1]
第64回宝塚記念
優勝馬:イクイノックス(鞍上:C.ルメール
開催国 日本
主催者日本中央競馬会
競馬場阪神競馬場
創設1960年6月26日
2023年の情報
距離芝2200m
格付けGI
賞金1着賞金2億2000万円

出走条件サラ系3歳以上(国際)(指定)
負担重量定量(3歳53kg、4歳以上58kg、牝馬2kg減)
出典[2][3]
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宝塚記念(たからづかきねん)は、日本中央競馬会(JRA)が阪神競馬場で施行する中央競馬重賞競走GI)である。

競走名の「宝塚」は宝塚市を指す。阪神競馬場の所在地で、兵庫県の南東部に位置する[4][5]

正賞は宝塚市長賞、日本馬主協会連合会会長賞、ブリーダーズカップ・チャレンジ[2][3]
概要2018年宝塚記念
左:ミッキーロケット(優勝馬 鞍上:和田竜二
右:ワーザー香港代表 鞍上:ヒュー・ボウマン第60回宝塚記念
優勝馬:リスグラシュー(鞍上:D.レーン第62回宝塚記念
優勝馬:クロノジェネシス(鞍上:クリストフ・ルメール第63回宝塚記念
優勝馬:タイトルホルダー(鞍上:横山和生

有馬記念と同様に、ファン投票で出走馬を決め、こちらは上半期の締めくくりを飾る競走として関西地区の競馬を華やかに盛り上げようとの趣旨で企画され、1960年に創設された[5]。「上半期の実力ナンバー1決定戦」として位置づけられている[5]

2011年からブリーダーズカップ・チャレンジの対象競走に指定され、優勝馬には当該年のブリーダーズカップ・ターフへの優先出走権と出走登録料・輸送費用の一部負担の特権が付与される[6][註 1]。また2019年から当競走の優勝馬には当該年のコックスプレートへの優先出走権が付与されることになった[7]

以前のファンファーレは他のGI競走(関西地区)と同様のものだったが、1999年より一般公募で選ばれた[8]専用の曲に変更された[註 2][註 3]
国際的評価

世界の競馬開催国は国際セリ名簿基準書におけるパートIからパートIVまでランク分けされており、2016年時点で日本は平地競走が最上位のパートI、障害競走はパートIVにランク付けされている[1]

また、各国の主要な競走は国際的な統一判断基準で評価されており、競馬の競走における距離別の区分法として定着しているSMILE区分によると、宝塚記念は「Long(2101m - 2700m)」に分類される。国際競馬統括機関連盟(IFHA)が公表した2016年の年間レースレーティング[註 4]の平均値に基づく「世界のトップ100GIレース」によると、宝塚記念は全体の15位にランキングされた。このランキングで日本の競走は宝塚記念を含め12競走がランクインしているが、日本の競走では有馬記念(13位)に次ぐ評価で、「Long(2101m - 2700m)」のカテゴリーからランクインした外国の競走との比較では、ドバイシーマクラシック(9位)に次ぐ評価となっている[12][13]
出走資格

以下の内容は、2023年現在[2][3]のもの。

サラ系3歳以上(出走可能頭数:18頭)

JRA所属馬(ファン投票選出馬・JRA選出馬)

地方所属馬

外国調教馬(最大8頭まで、優先出走)

出走馬の選定方法は以下のとおり。

特別登録を行った馬の中からファン投票上位10頭が優先出走できる[註 5]

上記以外の馬(外国所属競走馬を除く)は「通算収得賞金」+「過去1年間の収得賞金」+「過去2年間のGI競走の収得賞金」の総計が多い順に出走できる(地方所属馬も同様)。

負担重量

定量(3歳53kg、4歳以上58kg、牝馬2kg減)
[2][3][14]

負担重量の変遷[14]

第1回 - 第3回、第9回 - 第12回、第27回:馬齢重量

第4回 - 第8回:別定重量

第13回 - 第22回:4歳55kg、5歳56kg、6歳以上55kg(牝馬2kg減)

第23回 - 第26回:4歳56kg、5歳57kg、6歳以上56kg(牝馬2kg減)

第28回 - 第36回:3歳53kg、4歳56kg、5歳57kg、6歳以上56kg(牝馬2kg減)

第37回:3歳54kg、4歳以上58kg(牝馬2kg減)

※2000年以前は馬齢表記が異なるため、上の第13回から第37回にある「4歳」は、当時の表記で「5歳」である。



賞金

2023年の本賞金は1着2億2000万円で、以下2着8800万円、3着5500万円、4着3300万円、5着2200万円[2]
歴史
旧阪神競馬場の隆盛

阪神競馬場の前身である鳴尾競馬場阪神競馬倶楽部)は、1907(明治40)年に関西で初めての本格的な競馬場として建設された。当時、日本各地にはさまざまな競馬倶楽部が設立され、それぞれ独自に競馬を営み、レースを開催していた。この時代の鳴尾競馬場を代表する競走が帝室御賞典各内国産馬連合競走だった。これに「阪神4歳牝馬競走」(1931・昭和6年創設)、阪神記念(1934・昭和9年創設)、「阪神記念アラブ系抽選馬競走」(1935・昭和10年創設)が加わり、鳴尾競馬場の「阪神競馬」は馬券の売上高で日本一二を争う人気を博していた(1930年から1932年まで全国2位、1933年全国3位、1934年全国1位、1935年全国2位、1936年全国1位など)[15][16][17]

1936(昭和11)年に全国各地の11の競馬倶楽部が統合されて日本競馬会になると、各地で合わせて年に10回行なわれていた帝室御賞典は、年2回に統合されて大いに格式が引き上げられることになった。これにより、新たな「帝室御賞典」は、春に鳴尾競馬場(阪神)、秋に東京競馬場で行われることになった。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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