宝塚歌劇団
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宝塚歌劇団: Takarazuka Revue Company
宝塚歌劇団のロゴ
武庫川の畔に建つ宝塚歌劇団の劇場群、宝塚音楽学校
設立1913年
設立者小林一三
設立地 日本
兵庫県宝塚市
種類劇団
所在地兵庫県宝塚市
ウェブサイト宝塚歌劇団公式ホームページ
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1930年8月・月組公演:レビュウ「パリ・ゼット」
出演:門田芦子巽寿美子三浦時子、橘薫、天津乙女宝塚大劇場宝塚バウホール入口開演前の宝塚大劇場客席

宝塚歌劇団(たからづかかげきだん、: Takarazuka Revue Company)は、兵庫県宝塚市に本拠地を置く歌劇団である。

大手私鉄である阪急電鉄阪急阪神ホールディングス傘下)の一部門であり、阪急阪神東宝グループのエンターテイメント・コミュニケーション事業として阪急電鉄創遊事業本部歌劇事業部が運営している[1][注 1]

現在の理事長は村上浩爾[2]宝塚音楽学校理事長と兼任[2]
概要1947年2月、雪組公演:グランドレビュウ「ファイン・ロマンス」(中央は春日野八千代)共演:花村由利子谺春香乙羽信子

1914年に初の公演を行って以来、今日も人気を集める未婚の女性だけで構成された歌劇団である。現在は花(はな)月(つき)雪(ゆき)星(ほし)宙(そら)の5組と、いずれの組にも所属しない専科に分かれている。「宝塚」[3]「ヅカ」[4]などと略して呼ばれることも多い。

兵庫県宝塚市にある宝塚大劇場と、東京都千代田区有楽町日比谷)にある東京宝塚劇場を中心に公演している。宝塚市に中劇場の宝塚バウホールも所有。2002年7月より、劇場中継や公演案内を中心とした専門チャンネル『TAKARAZUKA SKY STAGE』の東経110度CS放送も行われている。

創設の当初から「老若男女誰もが楽しめる国民劇」を目指し、日本で初めてレヴューを上演した劇団として、一躍有名になった。現在も、健全かつ、どの世代の人が見ても楽しめる演目を中心に、芝居(ミュージカル)やレヴューを上演し続けている。ジャンルは古今東西を問わず、歴史劇、ファンタジー、SFなど多岐にわたる。

舞台に出演するのは宝塚音楽学校の卒業生であり、全員が未婚女性である。団員たちは「タカラジェンヌ」の愛称で親しまれている。退団後の再入団は認められておらず、外部の俳優が本公演に出演することもない。団員が在団中に外部の舞台・テレビなどに出演することは少ない。団員の育成が大きな特徴の一つであり、本公演の稽古期間は公演日数とほぼ同じである。ほかに、若手スターの勉強の場として新人公演が開催されたり、団員向けの劇団レッスン(無料)なども開講されている。

収容数2,000人以上の大規模劇場で常時公演し、舞台上に照明が当てられていることから、遠目からでも演者の表情が分かるように、大き目の付けまつげ、厚めのドーラン、強いアイラインなどほとんどの演者が華やかなメイクを施している。このメイクは宝塚大劇場内にある「サロン・ド・タカラヅカ」で予約をすれば一般客(女性のみ)も体験が可能である。

女性だけの劇団であるため、男性役も女性が演じる。男性の役を「男役」、女性の役を「娘役」と言う。身長を目安に、劇団併設の宝塚音楽学校在籍中にどちらかを優先的に希望することになっているが、公式に定められてはいない。入団後、男役から娘役への転向は多数の例があるが、娘役から男役への転向例は極めてまれである。創設初期の頃は娘役に人気が集まったが、現在は男役の方がファンの人気が圧倒的に高い。そのため舞台構成なども男役を中心に作られる。

劇団のシンボルソングのようになっている『すみれの花咲く頃』は、戦前のドイツ映画主題歌『リラ(またはライラック、ニワトコ)の花咲く頃』を、フランスでシャンソン化して歌われているのを聴いた白井鐵造が、持ち帰って詞をつけたもの(原曲のドイツ語版のCDなども発売されている)。歌劇団のみならず、阪急百貨店の開店時にも演奏されるなど、阪急阪神東宝グループの象徴的なテーマ曲となっている。
歌劇団員と宝塚音楽学校学校に関する詳細については「宝塚音楽学校」を参照

団員は、歌劇団付属の宝塚音楽学校で予科1年・本科1年の合わせて2年間の教育を受ける。宝塚歌劇団の入団条件も音楽学校の卒業生に限られる。歌劇団員の正装は、紋付オリーブ色)のであり、各種式典・退団時に着用する。
「生徒」と「研究科」

歌劇団入団以後も、団員は「生徒」と呼ばれる。これは、宝塚歌劇が発足当初、歌劇団員が「芸者舞妓のようなもの」と揶揄されたことに小林一三が怒り、「宝塚歌劇は良家の子女に高等なる音楽教育を施した“生徒”によってなされるものである」と言ったことに由来する。歌劇団と学校が一体であるため、双方の期数は一致する(例:音楽学校の95期生は、歌劇団の95期生として入団)。

1939年まで歌劇団員は「宝塚音楽舞踊学校(当時)の研究科生徒」の扱いであった。現在もその名残から、生徒の在団年数を「研究科○年」略して「研○」と公式に称する。
入団

宝塚音楽学校の2年課程を終えて、卒業認定されたのちに入団式を経て、正式に宝塚歌劇団の研究科1年生(研1生)となる[注 2]。主に、音楽学校の卒業式が午前中にあり、歌劇団の入団式が午後から執り行われることが多い[5]。入団が認められた研1生は、入団手続きの際に阪急電鉄と雇用契約を締結する。これは宝塚歌劇団が阪急電鉄の直営である関係上、歌劇団員は同社の社員としての身分をも有する必要があるためである[注 3][6]

その後の稽古を経て、春の大劇場公演に研1生全員が出演する。これを「初舞台公演」と呼び、研1生のことは「初舞台生」と呼ばれる。初舞台公演では、開演前に初舞台口上と、ラインダンスの披露が慣例になっている。初舞台口上は公演期間中に毎日行われ、初舞台生が舞台上に整列し、日替わりで3 - 4名が代表して口上を述べる。ラインダンスはショーの一場面で与えられていることが多く、初舞台生が全員で一丸となってラインダンスを披露する。年度によっては初舞台口上とラインダンス以外にも出演する機会が与えられることもある。

初舞台公演を経て、研1生は組の所属が決定する。これを「組配属」と呼ぶ。年度によっては、初舞台公演の後に研1生が班に分けられて、各組の本公演に分かれて出演することもある。これを「組まわり」と呼び、組まわりを経てから組配属が行われる場合もある。配属先の情報は、配属日に歌劇団の公式ページでも発表される。

生徒によっては、配属された組で一定の活動後に他の組へ異動する場合がある。それを「組替え」と呼ばれる。組替えの発表もまた、歌劇団の公式ページを通じて発表される。
タレント契約と定年

1977年入団生(63期生)から通称「(結婚)適齢期定年制度」が導入され[7]、“女子技芸員”として阪急電鉄の社員であった生徒は、一定の学年になると“タレント”として新たに個別の契約を結ぶ。従来は入団7年目(研7)がタレント契約の時期だったが、2007年入団生(93期生)から、入団6年目(研6)へ契約時期が早められた[8]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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