宝剣岳
麓から望む宝剣岳と千畳敷カール
標高2,931[1] m
所在地 日本
長野県木曽郡上松町・大桑村・
駒ヶ根市・上伊那郡宮田村
位置.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度46分53秒 東経137度48分33秒 / 北緯35.78139度 東経137.80917度 / 35.78139; 137.80917
宝剣岳(ほうけんだけ)は長野県の木曽山脈(中央アルプス)にある標高2,931 mの山。 宝剣岳は木曽駒ヶ岳の南に位置し、東麓の千畳敷カールからは、大きな岩峰として望め、中央アルプスの代表的な風景に挙げられている。この千畳敷カールは国内有数の圏谷であり、付近はお花畑が広がる。急峻な岩峰であり、しばしば滑落事故が発生する。南には、極楽平、島田娘と呼ばれる雪形があり、その先の主稜線は空木岳へと続く。古くから信仰登山の対象であった。1795年(寛政7年)に麓の宮田村の小町谷文五郎と唐木五郎右衛門が山頂に不動尊を奉納した[2]。 天保八年の記録「錫杖嶽(宝剣岳)の東に少し平らか成草原あり、是駒飼原(千畳敷)といふとぞ、かかる厳窟の間に草原も又珍敷見事成」 山名は、山岳信仰によるものとされている。江戸時代後期には、絵図で「錫杖嶽」と書かれ、その後「剣ヶ峰」とも呼ばれていた[3]。1811年(文化8年)に、下諏訪の寂本法師が山頂に重さ7貫目(約26kg)の錫杖を奉納したことから「錫杖岳」とも呼ばれる[2][4]。明治時代の地図には『寶剱嶽』の文字が使われている。名称は時代と共に変化をする。剱ヶ崟(剣ヶ峰)、錫杖嶽(錫杖ヶ岳)、剣ヶ峰、寶剱嶽(宝剣岳) 標高2,600m付近の千畳敷までは駒ヶ岳ロープウェイで簡単に上がることができ、千畳敷カールには遊歩道がある。詳細は「千畳敷カール」を参照 山頂には高さ5m程の先端が尖った巨石があり、巨石の頂上部は一人が立つことのできる程度の広さがある。360度の展望が得られるが、登下降の際に注意が必要であり、岩登りの技術の低い者は事故防止のため登らない方が無難である。 山頂周辺は、森林限界のハイマツ帯である。コバイケイソウ、コマウスユキソウ、チシマギキョウ、イワツメクサ、イワベンケイ、シャクナゲ、トウヤクリンドウ、アキノキリンソウ、ミヤマキンバイなどの高山植物が登山道で見られる。
概要
山名の由来
登山
宝剣岳の登山道は過去に多くの滑落事故が発生しており、多くの人命が失われている。頂上を目指す為には岩場を登るための知識及び登攀技術(「三点支持法」など)、標高の高い山の登山に適した服装や装備が必要となる。また、ロープウェイを利用しすぐに頂上を目指す場合、体が低酸素の環境に慣れていないことから、高山病にかかりやすくなっていることも留意する。
千畳敷から乗越浄土経由で宝剣岳へ向かうルートは急勾配であり、乗越浄土から宝剣岳山頂までは岩場や鎖場が続く難路となっている。
千畳敷から極楽平を周回するルートは、極楽平から宝剣岳山頂までやはり急峻な岩場や鎖場が長く続く難路である。
他に千畳敷から岩場を登り山頂を直接目指すルート等があるが、ロッククライミングの高度な技術を持つ者以外は登攀不可能である。
周辺の植物
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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