定禅寺通(じょうぜんじどおり)は、宮城県仙台市青葉区にある道路である。駅前通との変則四叉路から西公園通との丁字路までを結ぶ[1]。仙台市の愛称命名道路のうちの1つで、公募により1982年(昭和57年)に命名された[2]。定禅寺通の名称は江戸時代からあったが、長い大通りとなったのは戦後の戦災復興によるものである。4列のケヤキ並木を有し、青葉通と共に、杜の都と言われる仙台を象徴する道路である。しばしば都市イベントの会場ともなる。定禅寺通の中央分離帯(定禅寺通緑地)にある遊歩道(2020年8月)定禅寺ストリートジャズフェスティバル in 仙台(2009年9月) 駅前通との連結部から錦町公園前交差点までの区間は、仙台市道青葉1141号・定禅寺通宮町線である。4車線で、中央分離帯にケヤキ1列、両側歩道各々にイチョウ1列の計3列の並木を持つ。旧町名は長丁(錦町)。 錦町公園前交差点から東二番丁定禅寺交差点までの区間は、国道45号である。6車線で、中央分離帯にケヤキ1列、両側歩道各々にイチョウ1列の計3列の並木を持つ。小さい河岸段丘[注釈 1]があり、東側が高い。東二番丁から東三番丁にかけてが段丘崖の坂の部分で、東三番丁から東六番丁までは段丘面の平地である。旧町名は、段丘崖下まで定禅寺通、段丘崖から東は明治中期の新設道で、段丘崖の部分を東三番丁
路線
東二番丁定禅寺交差点から市民会館前交差点までの区間は、仙台市道青葉1171号・定禅寺通線である。幅員46メートルで、中央分離帯12メートル、両側歩道7メートルずつ、6車線である。1958年(昭和33年)に植樹され、現在、道路上部を覆うほど成長した4列のケヤキ並木を持つ。遊歩道がある中央分離帯は「定禅寺通緑地」と市が名付けているが、市民には「定禅寺通グリーンベルト」などと呼ばれている [要出典]。旧町名は、一番町との交差点から国分町通との交差点まで愛称命名前の元々の定禅寺通、それより西は定禅寺通櫓丁と呼ばれた。 交差する道路交差する場所路線番号起点から 江戸時代、現在の宮城県庁前にあたる高台一帯には伊達政宗が仙台城の鬼門にあるため祈願寺に定めたと伝えられる定禅寺があり、もとはこの寺に通じる道路であったので「定禅寺通」の名があると言われている[4][5]。この時代、定禅寺通および定禅寺通櫓丁(北櫓丁とも)が存在した[6][7]。この頃の定禅寺通の東端は定禅寺のある高台だったが、明治時代に東へ延びて長丁(錦町)とつながり[6][7]、昭和に入ると仙台市電を通すためにこの道路が整備された[7]。 1945年(昭和20年)7月10日、仙台空襲により定禅寺通は焦土と化した。戦後の1946年(昭和21年)11月の戦災復興院告示による「戦災復興土地区画整理事業」として現在の定禅寺通の整備が始められ、このとき道路幅員が46メートルとなり、中央部には遊歩道付きの12メートル幅の緑地帯が設けられた。さらにその後の1958年(昭和33年)になると、緑地帯と両側歩道にケヤキが植えられた。1967年(昭和42年)には電線地中線化工事が完成し、通りの電柱は消えてケヤキ並木の美しさは一層引き立った。仙台市ではこのケヤキ並木を50年保存樹林に指定し、緑の保全に特に力を入れている。1977年(昭和52年)には、「彫刻のあるまちづくり」事業を加え、国内外の著名な彫刻作品を導入し遊歩道に設置した[4]。1982年(昭和57年)5月、仙台市により道路愛称として公式に定禅寺通が制定された[8]。
交差する道路
上側が西側、下側が東側。
交差する道路の特記がないものは市道。
(km)
<西公園通>(元柳町)<西公園通>(元常盤丁)市民会館前--
(木町末無)---
<木町通
<晩翠通>(細横丁)春日町-
<国分町通>(奥州街道)(国分町)<国分町通>(奥州街道)(二日町)-
<稲荷小路>--
<東一番丁通>-
国道48号・国道286号<東二番丁通>宮城県道22号仙台泉線<勾当台通>無名交差点[3]-
国道45号0.0
<東三番丁通>
国道45号<愛宕上杉通>仙台駅方面(<東五番丁通>)<愛宕上杉通>(<上杉山通>)
--
<中杉山通>-
<駅前通>(<光禅寺通>)<光禅寺通>-
歴史