定山渓温泉
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定山渓温泉
温泉街の豊平川に架かる月見橋
温泉情報
所在地北海道札幌市南区
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯42度57分52秒 東経141度09分41秒 / 北緯42.96444度 東経141.16139度 / 42.96444; 141.16139座標: 北緯42度57分52秒 東経141度09分41秒 / 北緯42.96444度 東経141.16139度 / 42.96444; 141.16139
交通#アクセス参照
泉質ナトリウム-塩化物泉
湧出量8,600リットル(毎分)
液性の分類中性
浸透圧の分類低張性
出典 ⇒森と大地の恵み定山渓温泉
外部リンク ⇒定山渓観光協会公式サイト
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定山渓を流れる豊平川

定山渓温泉(じょうざんけい おんせん)は、北海道札幌市南区にある温泉地。
泉質

泉質ナトリウム-塩化物泉。定山渓温泉の泉源は56ヵ所あり、温泉街を流れる豊平川月見橋付近と高山橋付近に集中しており、川岸や川底にある岩盤の割れ目から自然湧出している。湧出量は毎分8,600?、湧出温度は60度?80度と比較的高温になっている。
温泉街

温泉街豊平川と白井川に削られてできた河岸と国道230号沿いにあり[1]、わずかな平地に市街地を形成している[1]。見返り坂下の湯の滝には露天風呂に浸かっている河童の像があるほか[2]、温泉街の至る所にメルヘンかっぱ像を設置している。月見橋美泉定山が温泉が湧き出ているのを発見した場所であり[3]、橋の近くにある定山の生誕200年を記念した定山源泉公園には足湯手湯温泉卵をつくることができるおんたまの湯を設置している[4]。また、定山源泉公園のほかにも温泉街には無料の足湯や手湯を設置している。岩戸観音堂は小樽と定山渓を結ぶ道路を建設した際の犠牲者の冥福などを祈るため、1936年(昭和11年)に地崎宇三郎が全長120 mの洞窟に33体の観音像を私費で安置した[3][5]。豊平川沿いには散策路があり、二見公園にはかっぱ大王像を設置している[6][7]。かっぱ淵の近くには二見吊橋があり、定山渓での森林浴紅葉の名所の1つになっている。

なお、定山渓小学校の敷地内には、美泉定山や定山渓鉄道をはじめとして、定山渓温泉に関する歴史資料や、かつて、定山渓周辺の住民が使用していた生活道具などを展示する、定山渓郷土博物館が建っている。

湯の滝

定山源泉公園内の美泉定山像

岩戸観音堂

歴史定山渓ホテル前にある美泉定山像

定山渓温泉を発見したのは『後方羊蹄日誌』を記した松浦武四郎だと言われているが[1][8][9]、温泉開発を行ったのは修験僧の美泉定山である[9]。「鹿が傷を癒す秘湯があるらしい」との噂を聞きつけて現在の小樽市朝里付近から山に入って温泉を発見し、私設の湯治場をつくった[9][10]明治になり開拓使が設置されると、定山は温泉開発を願い出る[9]。1870年(明治3年)に本願寺道路の開削工事が始まると官営の温泉場が設けられ、定山は岩村通俊判官から湯守を命じられた[9]。数年来の願いが叶った定山は川に架けられた橋に「回春橋」(春が回ってきたの意味)と名づけた[11]。1871年(明治4年)、本願寺道路の検分で温泉に訪れた東久世通禧開拓長官は定山の湯守としての奮闘ぶりを賞賛し、無名の渓谷に「常山渓」と名づけた[12]。ところが、1873年(明治6年)の大雨によって川が氾濫して開墾した畑が浸水し、回春橋は流失してしまう。翌年には開拓使の財政引き締め政策の一環として湯守が廃止になり、定山は独力で温泉を営むことになる[13]。なお、戸籍法によって美泉定山と名乗るようになってから常山渓は「定山渓」と言われるようになった[14][15]。温泉経営で苦境に立たされた定山は温泉開発の一策として小樽に通じる道路開削を求めたが、当時は道路測量が行われるのみであった[16]。そして、1877年(明治10年)に定山は行方不明となり入滅した[17]

1880年(明治13年)、定山亡き後の温泉経営を佐藤伊勢造が引き継いで「元の湯」(佐藤温泉)とした[18]。1886年(明治19年)には高山今朝吉が発見した温泉「中の湯」(高山温泉)が開業し[18]、同年から穴の沢から定山渓までの道路改修工事が始まり、流失した回春橋が再建された[18]。1891年(明治24年)には駅逓所が設置され、1894年(明治27年)に虻田までの改修工事が完了するなど定山渓の交通事情は改善した[18]。また、この頃に本郷嘉之助・南部源蔵などが出資した「鹿の湯」(山田温泉・熊坂温泉)が開業している[18][19]。1905年(明治38年)に御料局の補助と3つの温泉が資金を拠出して老朽化した回春橋の架け替えを行い、「月見橋」と改称した[20]。1914年(大正3年)から豊羽鉱山の開発が始まり、翌年に定山渓鉄道が設立されると工事関係者が定山渓に出入りするようになり、商店や郵便局・駐在所などが進出して徐々に温泉街を形成していった[21]。1918年(大正7年)に定山渓鉄道線が開通すると定山渓温泉は湯治場から行楽地として発展し、新たな旅館や企業が客を招待するための施設なども建ち始めた[21]。豊羽鉱山が一時休山した後も定山渓鉄道の開通効果により訪問客は漸増した[21]。1929年(昭和4年)に東札幌から定山渓までの区間の鉄道が電化されると所要時間が短縮して輸送人員も増加し、定山渓温泉は「札幌の奥座敷」と呼ばれるようになる[22]。1932年(昭和7年)には晩年の定山が悲願していた小樽から定山渓に通じる道が有料道路として開通した(北海道道1号小樽定山渓線の前身)[22]


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