宏池政策研究会
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宏池政策研究会陰十四菊
略称古賀派
岸田派
前身新財政研究会木曜研究会
設立2008年5月13日
設立者古賀誠
解散2024年1月23日[1]
種類自由民主党の派閥
本部全国町村会館
所在地千代田区永田町
会長空席
予算207,742,774円
ウェブサイトhttps://kouchikai1957.com/
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宏池政策研究会(こうちせいさくけんきゅうかい)とは、かつて存在した自由民主党の派閥加藤の乱によって二派に分裂した宏池会が、将来の党総裁候補の育成と輩出を目指すべく持ち上がった派閥再合流議論の結果、成立した。分裂直後から常に取り沙汰されてきたが、2007年より議論が活発化。2008年1月16日に正式合意し、同年5月13日のパーティーで正式に合流した。
志公会を除いた宏池会系派閥
2008年5月13日合流前


古賀派(宏池会) 46人(衆議院38人、参議院8人)

谷垣派(宏池会) 15人(衆議院12人、参議院3人)

沿革
合流構想

加藤の乱による加藤派分裂の直後から合流構想自体はしばしば持ち上がっていた。当初はかつて宏池会に所属していた麻生派をも含めた大宏池会構想があったが、古賀派と谷垣派はハト派色が強く、麻生派はタカ派色が強いこと、安倍政権の下では、宏池会結集構想が「非安倍勢力の結集構想」という側面を持つため、安倍政権の主流派であるとされる麻生派を外した中宏池会構想が持ち上がった。

2007年前半には古賀が谷垣と会談を重ね、麻生派抜きでの古賀派・谷垣派の合流の流れを密かに作ろうとしたが、表に漏れてしまい、古賀派内の丹羽雄哉に近い議員や、古賀派出身の閣僚、さらには麻生太郎の反対にあい、参院選前に想定していた両派の合流構想は頓挫した。

同年9月の安倍内閣退陣後の総裁選では、谷垣派・古賀派が揃って福田康夫を支持して候補者である麻生太郎と対立、麻生包囲網などと呼ばれた。福田政権では古賀と谷垣が揃って党四役入りする一方で麻生は閣僚入りを拒否して非主流派に回った。現在ではかつての盟友である古賀・麻生の関係はすっかり冷え切っていると言われ、他方で古賀・谷垣の距離は接近しているため、再度中宏池会構想が取り沙汰されることが多くなった。

同年10月11日の会合で、遅くとも翌年春までの合流を目指す方向で意見が一致。さらにテロ特措法案などの関連で臨時国会が大幅延長されて国会閉会期間がほとんどない通年国会状態に突入すると、12月には前倒し論が浮上した。
合流の実現

2008年に入り、2派での合流論が加速。同年1月16日には5月までの再合流を正式決定するとともに、古賀を会長、谷垣を新設される「代表世話人」とすることが固まった。

2008年5月13日東京都内のホテルで開かれた政治資金パーティーで、正式に合流が実現した。

会長には古賀誠、ナンバー2の代表世話人には谷垣禎一が就任。会長代行は太田誠一(旧古賀派)、事務総長には逢沢一郎(旧谷垣派)が就き、両派の均衡が図られた。また、派閥の事務所は旧古賀派の事務所に引き続き置かれることとなった。

なお、マスコミ報道などにおいては、合流して成立した宏池会の会長に古賀が就任したことから、同会のことを「古賀派」と呼ぶ。
合流による効果

正式に合流した2008年5月13日時点、衆議院50人、参議院11人(総勢61人)と、党内勢力では最大派閥の町村派や第2派閥の津島派に次ぐ第3の勢力となった。両派議員からの合流への不参加、無派閥議員からの入会といった動きはないが、無派閥議員の中にも、加藤の乱による分裂の際、いずれのグループにも参加しなかった議員もいるため、無派閥議員の参加もあれば、党内勢力では津島派を上回り、最大派閥の町村派に次ぐ第2派閥になる。分裂以来中小派閥に甘んじてきた両派にとっては、合併による発言力の高まりは大きな利点となる。以下は2008年6月5日時点の人数である。町村派(清和政策研究会) 86人(衆議院60人、参議院26人)津島派(平成研究会) 70人(衆議院47人、参議院23人)中宏池会 62人(衆議院51人、参議院11人)

他方、谷垣派にとっては、古賀派主導で事実上の「吸収合併」となることへの反発が強いといわれ、古賀派からは谷垣を明確に総裁候補と位置づけることに対して慎重論が根強かった。そこで総裁候補を事実上棚上げした形で合流に踏み切る方向が模索された。また、古賀派には2007年総裁選で麻生太郎を支持した議員が少なくなく、小選挙区制の下では中選挙区制時代の派閥のように一人の総裁候補を一枚岩となって応援するような形にはなりにくいとの声も大きい。

結局、合流に当たって派閥として統一した総裁候補を掲げることを断念し、合流時のパーティーでは総裁候補に関して幹部は一切言及しなかった。このため、合流時のマスコミ報道では「同床異夢」「呉越同舟」といった表現が用いられることとなった。
総裁派閥に谷垣禎一

自民党が野党に転落した第45回衆議院議員総選挙では宏池会も所属衆議院議員を25人と半減させたが、第1派閥の清和会、第2派閥の平成研がそれぞれ1/3に議席数を減らしたため、衆議院では第1派閥となった。

2009年9月28日に行われた自民党総裁選では、谷垣禎一が勝利。自派も含めて幅広く支持を集めての圧勝だったが、小野寺五典が自ら立候補を模索した上河野太郎支持に回ったほか、菅義偉も派閥を退会して河野を積極的に支持するなど、総裁選は派閥単位の動きよりは世代対立の様相を呈した。宏池会が総裁派閥となるのは、皮肉にも前回の野党転落時の河野洋平以来14年ぶりだが、就任後もしばらくは離党者が相次ぐなど、厳しい党運営が続いた。


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