宋永吉
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韓国政治家宋 永吉???

生年月日 (1963-03-21) 1963年3月21日(61歳)
出生地 韓国 全羅南道高興郡
出身校延世大学校
前職仁川広域市長(民選5代目)
国会議員(桂陽区乙)
所属政党(新千年民主党→)
ヨルリン・ウリ党→)
大統合民主新党→)
民主党→)
(民主統合党→)
民主党→)
(新政治民主連合→)
共に民主党→)
松の木党
サイン
公式サイト ⇒??? ????
 大韓民国
国会議員
選挙区(仁川広域市桂陽区選挙区→)
仁川広域市桂陽区乙選挙区
当選回数5回
在任期間2000年5月30日 - 2010年4月26日
2016年5月30日 - 2022年4月29日
仁川広域市市長
当選回数1回
在任期間2010年7月1日 - 2014年6月30日

共に民主党代表
在任期間2021年5月2日 - 2022年3月10日
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宋 永吉(ソン・ヨンギル、韓国語: ???、1963年3月21日 - )は、大韓民国政治家。第16-18・20・21代国会議員仁川広域市長(民選5代目)、共に民主党代表を歴任した。
人物

1963年3月21日、全羅南道高興郡生まれ。本貫礪山宋氏カトリック教徒[1]延世大学入学後の1985年、仁川大宇自動車ルマン工場に配管溶接工として入社、労働運動に係わるようになり、その後も労働相談やタクシー労働組合の活動など労働運動に係わり続けた。この後1994年司法試験に合格して人権弁護士として活躍し、2000年4月に行われた第16代国会議員総選挙に当時の金大中政権与党である新千年民主党の公薦で仁川広域市桂陽区から出馬して当選を果たし政界入りした。この後17代18代国会議員を歴任した。

2010年6月の第5回全国同時地方選挙の一環として行われた仁川広域市長選挙に野党統一候補として出馬して初当選を果たした。市長に就任した直後には「南北関係の改善のために、両国の交流協力事業を直ちに再推進する計画がある」と明かすなど、政治家としてたびたび南北交流の重要性を主張してきた[2]。2014年6月の第6回全国同時地方選挙ではセヌリ党候補の劉正福(ユ・ジョンボク)に敗れ、再選はならなかった[3]

2016年4月に行われた総選挙では共に民主党候補として桂陽区乙から出馬、返り咲き(4選)を果たした[4]

2021年5月1日共に民主党は宋永吉を党代表に選出[5]。宋は35.6%を得票し、親文在寅派で35.01%を獲得した洪永杓(朝鮮語版)とは0.59%差という僅差だった[6][7]

2022年3月10日、前日に執行された大統領選挙李在明が敗北した責任をとり党代表を辞任した[8]

2022年4月1日、同年6月の第8回全国同時地方選挙でのソウル市長選への出馬を表明し、同月に国会議員辞職書を提出し、朴炳錫議長の署名により成立した[9][10]。市長選投票の結果、現職の呉世勲に敗れた[11]

2023年4月、2021年の党代表選前に「現金入り封筒」計9400万ウォンを党員に配った疑惑で検察の取り調べを受けた[12]。同年12月18日、「現金入り封筒事件」に対する証拠隠滅の懸念により拘束された[13]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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