あんざい きょうこ
安西 郷子
1954年
本名三橋(住野)町子
生年月日 (1934-09-27) 1934年9月27日
没年月日 (2002-12-28) 2002年12月28日(68歳没)
出生地 日本 大阪府豊能郡豊中町(現在の同府豊中市)
死没地 日本 東京都渋谷区
民族日本人
職業女優
ジャンル映画、テレビドラマ
活動期間1950年 ‐ 1961年
活動内容1950年:大阪松竹歌劇団
1953年:新東宝入社
1956年:東宝に移籍
1961年:結婚を機に引退
配偶者三橋達也(1961年 - 2002年)
著名な家族三橋忠央(息子)
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安西 郷子(あんざい きょうこ[1][2]、(1934年〈昭和9年〉9月27日[1][3] - 2002年〈平成14年〉12月28日[3])は、日本の元女優である。本名:三橋 町子(旧姓:住野)。
夫は俳優の三橋達也[2]。デジタルドメインのVFXクリエイター・三橋忠央は息子のひとり(3兄弟の次男)。
生涯OSK時代(1952年)1954年1960年
1950年、大阪市立新北野中学校卒業。
大阪松竹歌劇団(OSK)へ入団。1953年、川島雄三監督が松竹京都で『純潔革命』を撮ることになり、出演することが決まっていたが、クランクイン直前に病気で倒れて降板[注釈 1]。 同年、OSKを退団[1][3]。
1953年、新東宝へ入社し、『半処女』で映画デビュー[3]。
1956年、東宝に移籍[3]。メインヒロイン役をこなし、エキゾチックな顔立ちが魅力的な美人女優と評された。
1964年、寿美花代が粉ミルクのCM出演の契約を交わしたが、寿美の長男が家政婦に殺害され(高島忠夫長男殺害事件)、この事件の影響で寿美は出演していた粉ミルクのCMを降板。代わりに安西が長女と一緒に出演するCMが製作されたが、事件2ヶ月後の10月23日にCM出演していた長女がベッドから転落死する事故が発生。CM出演者の相次ぐ不幸が続いたため、粉ミルク会社はタレントが出演するCM自体を製作しないことを決定した。
2002年(平成14年)12月28日、肝不全のため死去[3]。没年68歳。墓所は港区立行寺。
主な出演
映画
半処女(1953年8月25日、新東宝)
霧の第三棧橋(1953年10月21日、新東宝=新芸プロ)
恋文(1953年12月13日、新東宝)
君ゆえに(1954年3月3日、新東宝)
大阪の宿(1954年4月20日、新東宝)
暁の銃弾(1954年6月、日本映画) - 安田京子(婦人警官)
ハワイ珍道中(1954年9月14日、新東宝)
愛と死の谷間(1954年9月21日、日活) - 坂田律子
ほらふき丹次(1954年12月7日、新東宝) - その娘はつこ
力道山の鉄腕巨人(1954年12月13日、新東宝)
一寸法師(1955年2月12日、新東宝)
俺も男さ(1955年3月14日、新東宝)
青春怪談(1955年4月19日、新東宝)
月に飛ぶ雁(1955年4月19日、東京映画)
のんき裁判(1955年4月24日、新東宝) - 証人
母の曲(1955年5月15日、新東宝)
リオの情熱(1955年7月12日、新東宝)
柔道流転(1955年10月18日、新東宝)
柔道流転 黒帯無双(1955年11月15日、新東宝)
船場の娘より 忘れじの人(1955年10月18日、東京映画)
風流交番日記(1955年11月8日、新東宝) - 瑠美子
母ふたり(1955年12月13日、新東宝)
北海の叛乱(1956年1月8日、新東宝)
吸血蛾(1956年4月11日、東宝) - 杉野弓子