安西祐一郎
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安西 祐一郎
文化功労者顕彰に際して
公表された肖像写真
生誕 (1946-08-29) 1946年8月29日(77歳)
国籍 日本
教育慶應義塾大学工学部卒業
慶應義塾大学大学院工学研究科修了
業績
所属機関慶應義塾大学(1971年 - 1985年、1988年 - 2011年)
カーネギーメロン大学
(1976年 - 1978年)
北海道大学
(1985年 - 1988年)
受賞歴フランス教育功労章コマンドゥール
紫綬褒章
文化功労者

安西 祐一郎(あんざい ゆういちろう、1946年(昭和21年)8月29日 - )は、日本工学者情報科学認知科学)。学位工学博士慶應義塾大学1974年)。慶應義塾大学名誉教授新型コロナウイルス感染症対策・AIシミュレーション検討会議委員。

慶應義塾大学理工学部長、慶應義塾大学大学院理工学研究科委員長、慶應義塾長などを経て、独立行政法人日本学術振興会理事長、中央教育審議会(中教審)会長、慶應義塾学事顧問、新日本製鐵株式会社社外監査役。
人物2008年5月26日総理大臣官邸にて内閣総理大臣福田康夫(左)と

慶應義塾大学理工学部名誉教授の安西修一郎は親族である。池田彌三郎とは遠戚関係にある。

慶應義塾大学理工学部体育会ラグビー部(KER)27期でOB会会長である。宇宙飛行士の星出彰彦とは、慶應義塾大学理工学部体育会ラグビー部(KER)の同窓である。幼稚舎出身の塾長としては、潮田江次に次ぐ二人目である。

教育再生懇談会(2009年11月に廃止)で座長を務めた。文部科学省学校教育の情報化懇談会座長も務め、小中学生が携帯やネットのリテラシーを学ぶことを奨励している。2009年4月末の慶應義塾長の選挙に三選目を目指して臨んだものの、当時商学部長を務めていた清家篤が次期塾長に選出されたため、2009年5月27日を以って塾長の座を退いた。

趣味はスポーツで特にラグビースキーテニスを嗜んでいた、読書、クラシック音楽鑑賞。座右の銘は「一期一会」。子息は慶應義塾大学病院の医師。
NHK会長人事

NHKでは、19年ぶりに民間から起用された会長の福地茂雄が、高齢も一つの理由として2011年1月24日の任期満了後は再任を望まない意向を示していた。このためNHK経営委員会は後任の人選を進め、その過程で安西に次期会長就任を打診、安西はこれに内諾したことが2010年12月29日明らかになった。NHK経営委員会において承認が得られれば[注釈 1]、NHKでは2代続く民間出身の会長に就任することになっていた[1]

しかし、安西が 1.都心に居宅を用意できるか 2.副会長は自分が連れて来られるか 3.会長の交際費はあるのか[2] を質問したことに、経営委員会内部で安西に対する不信が生じ、2011年1月には経営委員会が打診を撤回[3]。安西はこれについて「単に説明を求めただけ」と釈明した上で、経営委員会に対する不信感をあらわにし「このような状況では会長職を受けてもNHKを良くすることは困難」として、1月11日に就任を拒絶することを表明した[4]
日本学術振興会理事長・中央教育審議会会長 文科省専門家会議の座長

2011年9月16日、独立行政法人日本学術振興会理事長に内定。任期は、2011年10月1日から4年間。2014年、文部科学相の諮問機関である中央教育審議会(中教審)会長に就任。

大学入試共通テストに記述式問題を導入する案をまとめた安西は「採点の公平性が保たれるのか」という問題に次のように語った。「トップレベルの大学の入学者には高所得層の家庭の子どもが多いという状況もあります。そうした中で、新テストの記述式問題の採点部分だけを取り出して公平性を問うのは違和感を覚えます」[5]。また、安西は、共通テストへの英語民間試験導入を推進したが、民間試験の有力候補であったGTEC主催団体の評議員を務めていた[6]

なお、安西本人は慶應義塾幼稚舎から大学まで、外部受験を経験していない。
経歴2009年6月18日世界経済フォーラム東アジア会議にて

1959年 慶應義塾幼稚舎卒業

1962年 慶應義塾普通部卒業

1965年 慶應義塾高等学校卒業

1969年 慶應義塾大学工学部応用化学科卒業

1971年 同大学工学部管理工学科助手( - 1979年)

1974年 同大学大学院工学研究科博士課程修了(管理工学専攻)慶應義塾大学 工学博士 学位論文は 「A study on integer programming algorithms and their applications」

1976年 カーネギーメロン大学博士研究員( - 1978年)

1979年 慶應義塾大学工学部管理工学科専任講師( - 1985年)

1981年 カーネギーメロン大学客員助教授( - 1982年)

1985年 北海道大学文学部行動科学科助教授

1988年 慶應義塾大学理工学部電気工学科(学科改組後、情報工学科)教授( - 2011年)

1989年 同大学大学院理工学研究科教授(計算機科学専攻)兼任

1991年 マギル大学客員教授

1993年 慶應義塾大学理工学部長・大学院理工学研究科委員長( - 2001年)

2001年 慶應義塾長( - 2009年)

2003年 社団法人日本私立大学連盟会長・日本私立大学団体連合会会長・全私学連合代表(協議会議長)

2005年 社団法人情報処理学会第23代会長( - 2007年)

2008年 環太平洋大学協会会長

2011年 独立行政法人日本学術振興会理事長

2014年 中央教育審議会(文部科学相諮問機関)会長、文部科学省日本ユネスコ国内委員会会長

2020年 新型コロナウイルス感染症対策・AIシミュレーション検討会議委員

受賞・受章

1972年 -
計測自動制御学会技術論文賞

1987年 - 情報処理学会論文賞「Connectionist Modelを用いた自然言語処理システム」(Vol.28, No.2)田村淳との共著

1991年 - BABEL国際翻訳大賞(『翻訳の世界』翻訳大賞) 哲学・思想・芸術部門

2001年 - 人工知能学会業績賞

2005年 - フランス共和国教育功労章コマンドゥール

2008年春 - 紫綬褒章[7]

2015年 - 文化功労者(情報科学・認知科学・学術振興)[8]

2022年 - フランス共和国レジオンドヌール勲章シュヴァリエ

社会的活動・主な役職


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