あんどう ひろやす
安藤 裕康
2011年3月20日、ラツィオ州
ローマ県ローマにて
生誕 (1944-11-22) 1944年11月22日(79歳)
日本・神奈川県
国籍 日本
出身校東京大学文学部卒業
職業国際交流基金理事長
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安藤 裕康(あんどう ひろやす、1944年(昭和19年)11月22日[1] - )は、日本の外交官。
外務省中東アフリカ局局長、イタリア駐箚特命全権大使、独立行政法人国際交流基金理事長などを歴任した。 1944年生まれ[2]。神奈川県箱根町出身、大学時代にサンケイスカラシップで米国に一年間留学[3]。 1969年(昭和44年)8月に外務公務員上級試験に合格し、1970年(昭和45年)東京大学文学部卒業後、外務省に入省した。
来歴
生い立ち
外交官として2011年3月20日、ローマ市長ジャンニ・アレマンノ
外務省本省にてアジア局南東アジア第二課長、大臣官房在外公館課長、大臣官房外務参事官、大臣官房審議官などを歴任した[2]。2002年には、中東アフリカ局長に就任した[2][4]。
在外公館では、在フィリピン大使館[5]、在連合王国大使館参事官、在アメリカ合衆国大使館公使、在アメリカ合衆国大使館特命全権公使などを務めた[2]。2003年には、ニューヨーク総領事に就任した[2][4]。
また、他省庁においては内閣官房での勤務経験を持ち、橋本政権下で内閣総理大臣秘書官を務め、小泉政権下で内閣官房副長官補を務めた[2][4]。
2008年、イタリア駐箚特命全権大使に就任した[4]。2009年、ローマで開催された先進7か国財務大臣・中央銀行総裁会議に出席した中川昭一が「朦朧会見」を引き起こした直後、バチカン美術館でもトラブルを起こしているが[6]、この時にバチカン駐箚特命全権大使の上野景文、財務省国際局局長の玉木林太郎らとともに随行していた[7]。