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やノートページでの議論にご協力ください。安藤組(あんどうぐみ)は、株式会社東興業(あずまこうぎょう)の俗称。マスコミによって、名付けられた。業種は、不動産売買、興行、警備、水商売の用心棒、賭博など。昭和27年(1952年)から昭和39年(1964年)12月9日[1] まで活動した。社長は安藤昇。最盛期の組員(社員)は530人だった。 昭和27年(1952年)7月、安藤昇が、東京都渋谷区宇田川町に、株式会社東興業を設立し、正式に登記した。詳細は「安藤昇」を参照
歴史
エピソード
安藤昇が率いる愚連隊・「下北沢グループ」は、戦勝国民と称して都心の主要駅前を占拠し闇市を取り仕切っていた在日朝鮮人と対立し、自警団を組織して戦っていた。
運営方針は、指詰めや薬物を禁止したり入れ墨を嫌うなど、都会的でスマートな安藤の個性を大きく反映している。
組織編制は時に流動的。反面、制約を嫌う不良青少年の支持を得た。初期の構成員には大学生が多かった。ノンフィクションである安藤昇『激動―血ぬられた半生』(双葉社、1998年、ISBN 4575506605)では安藤組は都内の料亭を借りて賭場を開いていたとしている。渋谷は安藤の進出(※)以前の明治期から落合一家がシマとして守っている。※安藤は大久保の素封家出身。
博徒の縄張防衛は死んでも守るとして「死守り」と呼ばれるが山平重樹『血風賽の目侠伝―落合一家総長 高橋岩太郎一代記』(三一書房、1993年、ISBN 4380932788)によると落合一家の高橋岩太郎総長は、中野の万年東一より安藤を紹介されると渋谷での活動には庇護を与え、賭場の運営も許している。ヒエラルキーを構成するやくざ社会においては愚連隊が名門博徒のシマ内で堂々と賭場を開いているのは白眼視された。『実話ナックルズ』での安藤のインタビュー記事ではこの高橋との交流についても本人が証言をしている。
同じく渋谷を庭場
宮崎学『不逞者』(幻冬舎<アウトロー文庫>、1999年、ISBN 4877287345)によると東興業の“東”は万年東一に因むとされる。余談だが、当時の新宿は小金井一家の、銀座は生井一家(篠原組)の縄張りである。
後に関東やくざ社会の金看板となった村山洋二(弥根家一家総長)は、当時の安藤は東京でも珍しい外車を乗り回していたと『実話時代』三和出版で語っている。
歴代組長
安藤昇(社長) - 法政大学中退
幹部・準幹部
久住呂潤(大幹部、参謀格)
志賀日出也(専務、赤坂支店長)- 解散後は住吉連合会常任相談役。
須崎清(大幹部。安藤 昇の代人と用心棒)。
花形敬(大幹部) - 明治大学予科。
花田瑛一(大幹部、営業責任者)
石井福造(大幹部) - 国士舘中学。のちに住吉連合常任相談役を経て、住吉会常任相談役。
森田 雅(大幹部)
大塚稔(大幹部) - 元ボクシング東日本新人王。解散後は大日本一誠会二代目。
小笠原郁夫(大幹部)
西原健吾(幹部) - 國學院大學。
黒木健児(幹部) - 法政大学。