安芸郡_(広島県)
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安芸郡(あきぐん)は、広島県安芸国)の

人口116,527人、面積73.65km²、人口密度1,582人/km²。(2024年4月1日、推計人口

下記の4町を含む。

府中町(ふちゅうちょう)

海田町(かいたちょう)

熊野町(くまのちょう)

坂町(さかちょう)

郡域

1878年明治11年)に行政区画として発足した当時の郡域は、上記4町のほか、下記の区域にあたる[1]

広島市

東区の大部分(概ね牛田南、牛田東、中山西、中山南、矢賀町、矢賀、矢賀新町以北および東山町の一部)

南区の一部(概ね仁保沖町、丹那町、山城町、南大河町、北大河町、西霞町、東霞町、西本浦町、東本浦町、仁保新町、仁保、小磯町より南東、元宇品町・宇品町・似島町および東駅町の一部)

安芸区の大部分(阿戸町を除く)


呉市の大部分(警固屋町、宮原村、和庄町、清水、東畑、上畑町、荘山田村、栃原町、苗代町以西、音戸町、倉橋町、下蒲刈町、蒲刈町各町)

江田島市の一部(江田島町津久茂を除く江田島町各町)

歴史

律令制下に置かれた郡であるが、その領域は現在よりもずっと広かった。しかし、平安時代には南北に分けられ、それぞれ安北郡・安南郡となった。1664年寛文4年)、江戸幕府の指示により安北郡は高宮郡、安南郡は安芸郡と再改称。1898年明治31年)、高宮郡は沼田郡と合併して安佐郡となった。
近世以降の沿革

明治初年時点では全域が安芸広島藩領であった。「旧高旧領取調帳」に記載されている明治初年時点での村は以下の通り。(1町47村)
広島城下(一部)[2]、牛田村、新山村、戸坂村、中山村、温品村、矢賀村(現・広島市東区)、府中村、仁保島、船越村、海田市、奥海田村、畑賀村、中野村、下瀬野村、上瀬野村、熊野村、苗代村、栃原村、川角村、平谷村、押込村、焼山村、矢野村、坂村、大屋村、吉浦、和庄村、庄山田村、宮原村、警固屋村、瀬戸島、蒲刈島、倉橋島、渡子島、江田島、大黒村、段原村、比治村、矢賀村(現・広島市南区)、尾長村、古川村、大須賀村、明星院村、白島村[3]、山崎新開[4]、大須新開[5]、東新開[6]、皆実新開[7]

明治4年7月14日1871年8月29日) - 廃藩置県により広島県の管轄となる。

明治11年(1878年11月1日 - 郡区町村編制法の広島県での施行により、下記の変更が行われる。(38村)

広島城下・大黒村・段原村・比治村・矢賀村(現・広島市南区)・尾長村・大須賀村・白島村・大須新開・東新開・皆実新開、沼田郡観音村・川添村・船入村・水主町新開・吉島新開・六町目村・江波新開・白島村[8]の区域をもって広島区が発足し、郡より離脱[9]

残部に行政区画としての安芸郡が発足。郡役所が海田市村に設置。


明治15年(1882年)(34村)

新山村が牛田村に、山崎新田が広島区段原村にそれぞれ合併。

明星院村および古川村の一部が広島区大須賀村に合併。

古川村の残部が広島区尾長村に合併。


明治22年(1889年4月1日 - 町村制の施行により、以下の町村が発足。[ ]は合併した村。(1町29村)

牛田村戸坂村中山村矢賀村温品村(現・広島市)

府中村(現・府中町)

仁保島村船越村(現・広島市)

海田市町奥海田村(現・海田町)

畑賀村中野村下瀬野村上瀬野村(現・広島市)

熊野村(現・熊野町)

本庄村[栃原村・苗代村・押込村・平谷村・川角村](現・呉市、熊野町)、焼山村(現・呉市)

矢野村(現・広島市)

坂村(現・坂町)

大屋村吉浦村荘山田村和庄村宮原村警固屋村瀬戸島村渡子島村倉橋島村蒲刈島村(現・呉市)

江田島村(現・江田島市)


明治24年(1891年7月27日 - 蒲刈島村が分割し、一部[10]上蒲刈島村、残部に下蒲刈島村がそれぞれ発足。(1町30村)

明治25年(1892年9月1日 - 和庄村が町制施行して和庄町となる。(2町29村)

明治32年(1899年7月1日 - 郡制を施行。郡役所が和庄町に設置。

明治35年(1902年

4月1日 - 吉浦村の一部が分立して二川町が発足。(3町29村)

10月1日 - 二川町・荘山田村・和庄町・宮原村が合併し市制施行して呉市となり、郡より離脱。(1町27村)


明治37年(1904年) - 仁保島村の一部[11]が広島市に編入。

明治39年(1906年

1月1日 - 瀬戸島村が町制施行・改称して音戸町となる。(2町26村)

6月1日 - 警固屋村が町制施行して警固屋町となる。(3町25村)


大正5年(1916年2月11日 - 吉浦村が町制施行して吉浦町となる。(4町24村)

大正6年(1917年

8月31日 - 仁保島村が改称して仁保村となる。

10月1日 - 矢野村が町制施行して矢野町となる。(5町23村)


大正7年(1918年)10月1日 - 熊野村が町制施行して熊野町となる。(6町22村)

大正12年(1923年)4月1日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。

大正14年(1925年2月1日 - 江田島村が佐伯郡津久茂村を編入。

大正15年(1926年)7月1日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。

昭和3年(1928年

4月1日 - 吉浦町・警固屋町が呉市に編入。(4町22村)

11月1日 - 船越村が町制施行して船越町となる。(5町21村)


昭和4年(1929年)4月1日 - 仁保村・矢賀村・牛田村が広島市に編入。(5町18村)

昭和6年(1931年)4月1日(5町16村)

本庄村の一部(平谷・川角)が熊野町に編入。

焼山村および本庄村の残部(栃原・苗代・押込)が合併して昭和村が発足。


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