安積 得也(あずみ とくや、1900年(明治33年)2月17日[1] - 1994年(平成6年)7月27日[2])は、日本の内務官僚、社会評論家、詩人。官選県知事。 東京府(現・東京都)出身。安積得時の二男として生まれる[1]。第一高等学校を卒業。1923年12月、高等試験行政科試験に合格。1924年、東京帝国大学法学部を卒業。内務省に入省し京都府属となる[3]。 以後、社会局事務官、中央大学講師、地方警視、愛知県経済部長などを経て、東京府経済部長となる[1]。 1943年7月、栃木県知事に就任。1944年11月、内閣綜合計画局部長に転じた[1]。東海北陸地方副総監を経て、1945年9月、岡山県知事に就任。戦後初の県予算を編成したが、1946年1月、公職追放となり知事を辞した[3][4]。 その後、(株) TIC会長、公明選挙連盟評議員、日本真空時計取締役、丸和精機 (株) 取締役などを務めた[4]。墓所は多磨霊園。
人物
著作
『未見への出発』三省堂、1937年。
『新商人訓』朝日新聞社、1941年。
『詩集 一人のために』小峰書店、1953年。
『青年と人生:未見への出発』〈今日の教養書選〉池田書店、1954年。
『選挙と生活50話』〈話しあいテキスト〉医歯薬出版、1958年。
『日本の課題:新生活運動の考え方と進め方』新生活運動協会、1959年。
『自分の知らない自分:随想』〈生活文化新書;第2〉文教書院、1962年。
『われら地球市民』時事通信社、1975年。
『底を叩く時』機械製作資料社、1945年。
『詩集一人のために』小峰書店、1953年。
親族
子息 安積仰也(元国際基督教大学教授)
脚注^ a b c d 『新編日本の歴代知事』275頁。
^ 『朝日新聞』1994年7月30日朝刊の訃報より。
^ a b 『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』239頁。
^ a b 『新編日本の歴代知事』818頁。
参考文献
歴代知事編纂会編『新編日本の歴代知事』歴代知事編纂会、1991年。
秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年。
外部リンク
⇒安積得也 - 歴史が眠る多磨霊園
表
話
編
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知事
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