やすだじゅんぺい
安田純平
生誕 (1974-03-16) 1974年3月16日(50歳)
出身校一橋大学社会学部卒業
職業フリージャーナリスト
活動期間2003年1月 -
活動拠点中東及び北部アフリカ
配偶者深結
受賞山本美香記念国際ジャーナリスト賞
公式サイトhttps://jumpei.net/
安田 純平(やすだ じゅんぺい、1974年3月16日 - )は、日本のフリージャーナリスト。 埼玉県入間市出身[1]。お寺の過去帳で16代前まで先祖をさかのぼれる[2]。埼玉県立川越高等学校を経て[3]、一橋大学社会学部[4]に合格、卒業。 1997年信濃毎日新聞入社[5]、松本本社配属[1]。脳死肝移植問題などを担当した[5]。2002年3月、休暇をとりアフガニスタン取材。同年4月、文化部に異動、12月に休暇をとりイラク取材。2003年1月に信濃毎日新聞社を退社し、フリージャーナリストに転身する[1][5]。 2003年2月からイラクに滞在しナジャフ県、バグダード、サマーワなどを取材。イラク戦争中に当時のイラク政府が行った人間の盾作戦に他のジャーナリスト等と共に自ら参加した。フセイン政権崩壊までの間、イラク軍やイラク警察に数度拘束される。 2004年4月14日、先に拘束されていた日本人3人の人質(イラク日本人人質事件)の消息を掴むためファルージャに向かう途中[5][6]、武装勢力に渡辺修孝とともに拘束されたが、4月17日に解放された[7][5]。拘束したのは武装農民で、昼間は農民として働き、夜はムジャヒディンとして活動していた[8]。4か所を転々としたが、縛られることはなく、部屋の中を歩いたり、屋外のトイレを使うことも出来た[8]。日本への帰国費用は、自分が持っていたヨルダンから日本への航空チケットを利用し、イラクからヨルダンまでの航空運賃やヨルダンでのホテル代などもすべて自分で支払うと申し出て日本大使館員も同意し、日本国政府による立て替えで後に請求するというかたちで了解しており、帰国後に外務省が2人分の計約五百ドルを請求した[9][10]。解放後に外国人特派員協会で会見を行った[11][12]。 2005年1月、スマトラ島沖地震で被災したアチェ州を取材[1]。同年、ヨルダン、シリア、イラクを取材。内戦状態で取材が困難となったイラクに入国して取材するため、2007年、基地建設現場や民間軍事会社事務所などイラク軍関連施設で料理人として働きながら取材をし、『ルメB戦場出稼ぎ労働者』を記す。2012年にはシリア内戦を取材[12]。2009年にヒーリングシンガーのMyuと結婚。少林寺拳法二段[1]。 2015年6月、シリア人ブローカーと共にトルコ南部からシリア北西部のイドリブ県に密入国後、21日のツイートを最後に行方不明となる。アル=ヌスラ戦線により拘束されたともされるが、犯人は明確ではない[13]。2015年7月10日、外務大臣会見にてシリアで拘束の疑いのある事案としてフジテレビ、テレビ東京の記者より質問があった。当時外務大臣の岸田文雄は「少なくとも今現在邦人が拘束されたという情報には接してはおりません」と回答している[14]。 2015年12月22日、国境なき記者団が「シリアの武装勢力に拘束されており、早期解決を望んでいる」という内容の声明を出した[15]。しかし28日、国境なき記者団は「確認が不十分だった」として、声明を撤回している[16]。
人物
フリージャーナリストへ転身
シリアでの拘束
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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