安田朗
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やすだ あきら
安田 朗
プロフィール
生誕 (1964-07-21) 1964年7月21日(56歳)
日本北海道釧路市
所属(有)あきまん
公式サイト ⇒akiman's blog
代表作
一般ゲーム『ファイナルファイト』『ストリートファイターII
アニメ『∀ガンダム
その他AKIMAN(別名)
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安田 朗(やすだ あきら、1964年昭和39年)7月21日 -)は、日本のゲームクリエイターイラストレーターキャラクターデザイナー漫画家・元アニメーター

男性北海道釧路市出身。ペンネームはあきまん(AKIMAN)。目次

1 人物

2 略歴

3 主な関係作品

4 著作

5 脚注

6 関連項目

7 外部リンク

人物

幼少時にはダリドガなどの美術に影響を受ける。小学生のときに先生に褒められたことがきっかけで本格的に美術に目覚める。しかし、中学時代に安彦良和の戦場の絵を見て絵の方向性が変わったという。地元には就職先が無かったため、新聞奨学生として東京デザイナー学院(現東京ネットウエイブ)に入学。眠るのが好きなので、授業中に寝てたり、課題を出さないことがよくあったという。

その後、親に黙って東京デザイナー学院中退後、趣味でパソコンを使ってアニメのイラストなどを描いていたが、新聞屋を辞めて、アニメーターになる。アニメスタジオでは『コンポラキッド』や『北斗の拳』の原画を描いていたが、賃金の低さから電車賃さえなくなり、数ヶ月で辞める。この時、漫画家やイラストレーターなども考えたが諦めて、体力を使わないように毎日天井を見つめていたという。それを見た彼女に仕事を探せといわれたので、求人誌で広告の仕事を見つける。しかし、実際に行ってみると広告屋ではなくゲーム会社であり、1985年に株式会社カプコンに入社。この頃のペンネームはAKIMAN(これは「アキラマン」を省略した、『ドラゴンクエスト』のプレイネームである)。

カプコン時代はアートディレクターとして数々のタイトルに携わり、『ファイナルファイト』『ストリートファイターII』などでプランナーとしても才能を発揮。同ゲームは世界的なヒットとなった。

現在はフリーランスとなり、愛称であるあきまんを主に著作者名として使用している。絵を描くにあたり影響を受けたのは安彦良和、フランク・フラゼッタN・C・ワイエス(en)。本人いわく「安彦さんが好きで、アニメーターになろうとして失敗してゲーム業界に入ったようなもの」(『∀ガンダム全記録集2』より)。

キャラクターデザイナーとして有名だが、主にドット絵を制作するドッターとして手腕を発揮し、『ストリートファイターIII』のリュウ春麗などに代表される緻密で職人的なグラフィックは、ゲーム業界内外に多くのファンを持つ。ドットという制約・作業効率上、無駄な装飾や色を排して明確な記号と力強いシルエットで構成された魅力的なキャラクター達は格闘ゲームのキャラクターという枠を飛び出し、多くのファンを産み、多くのクリエーターを刺激した。しかし、その職人気質な仕事ぶりから期限に間に合わないといったことも多々あり、当時の開発現場では「安田さん待ち」という言葉が生まれたエピソードも。1992年あたりから岡本吉起に「『プリンス・オブ・ペルシャ』のようなアニメ塗りでキャラクターアニメーションさせる手法を取り入れよう」「ドットでグラデーションをつけていくよりセル塗りの方が作業効率がいい」と言われ、本人は「グラフィック自体の情報量が減る分しっかりしたデッサンが必要で、これまで以上に精緻なアニメーションパターンを作らないと間が持てない」「『キャプテンコマンドー』のときに限界までシャギー落とし[1]を減らすところまで突き詰め、もうこれ以上はやりたくないしやれない」と考えていたが、岡本にプレッシャーをかけられ仕方なく当時の新規タイトル『ヴァンパイア』からセル塗りにチャレンジした。このときの徹底したキャラクターデザイン監修の甲斐もあり、『ヴァンパイア』は実験作にも関わらず納得のいくセル塗りとアニメーションパターンになったと語っている[2]。この手法は『ヴァンパイア』シリーズの他、『マーヴル・スーパーヒーローズ』シリーズなどで活かされた。

後輩育成にも貢献しており、同社デザイン室から西村キヌBENGUSといった人気デザイナーを輩出。『ブレスオブファイア』のキャラクターデザインを担当し、当時『ブレスオブファイアII』の絵柄からの脱却を目指していた吉川達哉も安田のアートディレクションを受けたことで画風が一転、現在の作風になったといわれる。販促用イラストやキャラクターデザインを担当していたことでよく勘違いされやすいが、カプコン時代の安田は取締役兼デザイン統括であり、デザイン室には所属していない。

カンフー映画や荒木伸吾、『キューティーハニー』に影響を受ける。絵を描き始めると止まらないので、一枚に三週間かけることもあるという。
略歴
1980年


北海道釧路北陽高等学校入学。

1983年


専門学校東京デザイナー学院商業デザイン科入学。

1984年


同校中退。

1985年


カプコン東京支社にアルバイトとして採用。

入社後の初仕事は『サイドアーム』のキャラクターデザインと背景グラフィック。このほか、ファミコン用ソフト『1942』のパッケージイラストも担当。

1986年


カプコン大阪本社第3企画室に転属。

1988年

ロストワールド』で企画およびグラフィックデザインを担当。企画として開発に関わった初めての作品でもある。

1989年


『ファイナルファイト』の製作に参加。ボーナスステージやキャラクター設定などでアイデアを出し、グラフィックのみならず企画でも制作に貢献した。

1990年


『マジックソード』で販促用イラストを担当。アーケード版のポスターではアマゾネスの乳首が描かれていたが、スーパーファミコン版のパッケージでは乳首がレタッチされ消された。

1991年


『ストリートファイターII』で春麗やガイルといったキャラクターを生み出し、プレイヤーキャラクターのドット画も手掛けた。同作品はシリーズ化され、カプコンのアーケード黄金期を築き上げた。

1994年


『ヴァンパイア』のグラフィックチームの中心として制作に携わる。

エックス・メン チルドレン オブ ジ アトム』でドッターとしてウルヴァリンを制作。販促用イラストも担当した。

1997年


『ストリートファイターIII』で全キャラクターのデザインをはじめ、プレイヤーセレクト画やリュウなどのプレイヤーキャラクターのドット画を担当。

1998年


有限会社あきまんを設立。カプコンデザイン室にある机2つを分捕って事務所にしていた。

フジテレビ系アニメ、サンライズ『∀ガンダム』のキャラクターデザインを担当。


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