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安田 喜憲人物情報
生誕 (1946-11-24) 1946年11月24日(77歳)
日本三重県
出身校立命館大学、東北大学
学問
研究分野地理学・環境考古学
研究機関広島大学、国際日本文化研究センター、 立命館大学、ふじのくに地球環境史ミュージアム
学位理学博士
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安田 喜憲(やすだ よしのり、1946年11月24日 - )は、日本の地理学者・環境考古学者[1]。東北大学大学院環境科学研究科特任教授、立命館大学環太平洋文明研究センター長、ふじのくに地球環境史ミュージアム初代館長[2]、国際日本文化研究センター(日文研)名誉教授[3]。専攻は環境考古学。理学博士(東北大学・論文博士・1978年)。日本熊森協会顧問[4]。静岡県補佐官(学際担当)[5]。 1946年、三重県員弁郡北勢町(現・いなべ市)出身[6]。1965年に三重県立桑名高等学校を、1970年に立命館大学文学部地理学科を卒業。1972年、東北大学大学院理学研究科地理学専攻修士課程修了、1974年同博士課程を中退。 1977年、広島大学総合科学部助手に着任。翌年1978年、東北大学に学位論文を提出して理学博士号を取得。学位論文の題は「Vegetational history and archeological sequence since the last glacial age in Japan(日本列島における最終氷期以降の植生変遷と人類の居住) 」[7]。 1988年、国際日本文化研究センター助教授となる。1994年に教授昇進[8]。1995年麗澤大学客員教授、1996年(および2002年)にドイツフンボルト大学客員教授をつとめ、1997年には京都大学大学院理学研究科教授を併任する(?1999年3月)[9]。 2009年、日本放送協会 (NHK) 経営委員となり、2012年2月末の任期終了までこれを務めた[10]。 2012年、国際日本文化研究センターを定年退任し、東北大学大学院環境科学研究科・特任教授となった。同年6月30日付で京セラ監査役に就任[11][12]。 2013年より立命館大学環太平洋文明研究センターの初代センター長をつとめる(?2019年3月)[13]。また同年に設立された「エネルギーから経済を考える経営者ネットワーク会議[14]」のアドバイザーとなる[15]。2015年4月より静岡県補佐官(学際担当)[16]、静岡県ふじのくに地球環境史ミュージアム館長となる(?2021年3月)[17]。
経歴
受賞・叙勲
1996年 - 中日文化賞[18]
2007年 - 紫綬褒章[19]
2010年 - 中山賞
2014年 - 東海テレビ文化賞[20]
2020年2月 - アカデミア賞[9]
2020年春 - 瑞宝中綬章[21]
研究内容・業績
主に古代文明の比較研究を研究テーマとし、環境や文明に関する著作が多数ある。
1980年に環境考古学の日本における提唱者となる。環境考古学とは文明や歴史の自然環境との関係を研究する学問で、歴史や文明がダイナミックに変移するとき、その自然環境もまたダイナミックに変移すると捉える。安田は「環境考古学」について、日本の学界で完全に定着したという認識を2004年の時点で既に示している[22]。
富士山-信仰の対象と芸術の源泉における貢献
富士山と三保松原が命の水の循環でつながっているために、日本人はその風景に美を見いだし芸術の源泉としたと主張しており、UNESCOの世界遺産決定の理論的根拠づけに寄与があった。
第37回世界遺産委員会の直前に、同会議議長であるカンボジアの副首相であるソク・アンに、「富士山と三保松原は、カンボジアのプノン・バケン山とアンコール・ワット、アンコール・トムに代表される、聖なる山と命の水の崇拝と同様である」旨が記された自身の著書『Water Civilization』を添えて、三保松原が遺産の構成資産に値するという主張を手紙で送った[23]。会議前日の近藤とソクアンの折衝では、富士山と三保松原の精神性に帰因する重要性を共有でき、第37回世界遺産委員会では、複数のUNESCO大使から三保松原を取り入れる進言が相次いだ。インドの大使からは「その精神性が重要だ」とまでの言及があって、ICOMOSの勧告が覆り、三保松原も構成資産となった[24]。ふじのくに地球環境史ミュージアム館長として、静岡県富士山世界遺産センターの研究指導も担当している[25]。