安田善之助
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2代目安田善次郎安田善之助

2代 安田 善次郎(やすだ ぜんじろう、1879年明治12年)3月7日 - 1936年昭和11年)11月23日)は、日本実業家安田保善社総長や、安田銀行頭取、大垣共立銀行頭取、安田生命保険社長等を歴任した。号は松廼舎(まつのや)[1]。初名は善之助[2][3]
人物・来歴

初代安田善次郎の長男として生まれる[2][3]。1896年安田銀行頭取[4]、共済生命保険取締役[5]。1920年大垣共立銀行頭取[6]。1921年帝国製麻社長[7]。同年保善社総長に就任するとともに[8]家督を相続し安田善次郎を襲名した[2][3]。1923年第三銀行頭取。同年安田銀行頭取[9]。1925年共済信託社長[10]。1936年安田生命保険社長[11]、帝国製麻社長[12]。同年急逝。享年58。

実業界に身を置く一方で書誌学にも造詣が深く、善本・稀覯本の蔵書家としても知られたが、収集した松廼舎文庫は関東大震災で、安田文庫は東京大空襲で、それぞれ焼失した[1]
親族

初代安田善次郎は父。妻銑子は酒井忠宝の二女。安田一は長男。安田弘は孫。弟に安田善五郎安田善雄[13][2][14]。妹てる(暉子)の孫にオノ・ヨーコがいる。

安田善兵衛安田善助は従兄[15]
栄典

1928年(昭和3年)11月10日 - 勲三等瑞宝章[16]

脚注[脚注の使い方]^ a b 安田善次郎(二代目)国立国会図書館
^ a b c d「酒井忠良 (男性)」『人事興信録』データベース
^ a b c「安田善之助 (男性)」(第8版)『人事興信録』データベース
^ (株)安田銀行『安田銀行六十年誌』(1940.09)渋沢社史データベース
^ 「安田生命保険(相)『八十年史』(1961.12)」渋沢社史データベース
^ (株)大垣共立銀行『地域とともに歩んで : 大垣共立銀行九十年史』(1986.03)渋沢社史データベース
^ 帝国製麻(株)『帝国製麻株式会社三十年史』(1937.10)渋沢社史データベース
^ 安田保善社『安田保善社とその関係事業史』(1974.06)渋沢社史データベース
^ (株)富士銀行『富士銀行百年史. 別巻』(1982.03)渋沢社史データベース
^ 安田信託銀行(株)『安田信託銀行五十年史』(1976.09)渋沢社史データベース
^ 安田生命保険(相)『安田生命123年史』(2003.09)渋沢社史データベース
^ 「帝国製麻(株)『帝国製麻株式会社三十年史』(1937.10)」渋沢社史データベース
^「安田善之助 (男性)」(第4版)『人事興信録』データベース
^安田ゴルフ会 120回を記念して(その2)安田学園同窓会


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