この項目では、かつて広島県豊田郡に存在した町について説明しています。神奈川県横須賀市の地名については「安浦町 (横須賀市)」をご覧ください。
やすうらちょう
安浦町
野呂川ダム
安浦町旗安浦町章
廃止日2005年3月20日
廃止理由編入合併
音戸町、蒲刈町、倉橋町、豊浜町、安浦町、豊町→呉市
現在の自治体呉市
廃止時点のデータ
国 日本
地方中国地方(山陽地方)
都道府県広島県
郡豊田郡
市町村コード34423-1
面積63.53 km2
総人口12,892人
(2004年3月31日)
隣接自治体呉市、東広島市
町の木ヤマモモ
町の花サツキ
安浦町役場
所在地〒729-2516
広島県豊田郡安浦町中央三丁目2番9号
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯34度16分56秒 東経132度44分27秒 / 北緯34.28222度 東経132.74078度 / 34.28222; 132.74078
安浦町(やすうらちょう)は、かつて広島県に存在した町。2005年3月20日に豊田郡豊浜・豊両町及び安芸郡音戸・蒲刈・倉橋各町とともに呉市に編入されて豊田郡安浦町は消滅し、現在は呉市安浦町として存在する。 合併時、時の県知事横山助成が「浦安かれ」の意を込めて命名したと言われている
町名の由来
歴史
明治・大正年間
1889年4月1日 - 市町村制施行。当時の町域にはいずれも賀茂郡に属する内海・内海跡・中切・野呂・三津口の各村があった。
1896年1月1日 - 内海村が町制施行して内海町になる。
1922年1月1日 - 三津口村が町制施行して三津口町になる。
昭和年間
1927年(昭和2年)4月15日 - 三津口町沿岸6万坪の海面埋め立て工事の起工式が行われる[1]。
1929年(昭和4年)1月1日 - 内海跡村が村名を安登村に変更する。
1935年(昭和10年)2月17日 - 三呉線竹原駅 - 三津内海線開通。同年11月24日に全線開通、三呉線から呉線へ改称[2]。
1942年4月1日 - 中切村・野呂村が対等合併して野路村が成立する。
1944年(昭和19年)
1月1日 - 内海町・三津口町及び野路村が対等合併して安浦町が成立する。
7月4日 - 初の空襲警報。
1946年(昭和21年)5月 - 広島県営による野呂山の開拓がはじまる[3](1949年に中止)。
1949年(昭和24年) - 安浦農業協同組合、安浦漁業共同組合(翌年に安浦漁業協同組合)が発足[4]。
1950年(昭和25年)9月13日 - キジア台風による豪雨。床下浸水約250戸[5]。
1952年(昭和27年)7月10日 - 梅雨前線による豪雨
1956年(昭和31年)4月1日 - 賀茂・豊田両郡の一部所属町村入れ替えに伴い、所属郡が賀茂郡から豊田郡に変更される。
1958年(昭和33年)4月1日 - 豊田郡安登村の一部(残部は豊田郡川尻町に編入)を編入する。
1960年(昭和35年)
4月6日 - 安浦中学校で火災。木造二階建ての校舎一棟が全焼[7]。
11月18日 - 安浦町役場が火災により全焼。
1967年(昭和42年)7月9日 - 集中豪雨により町内各地で土砂災害多発。死者3人、家屋全壊12戸、半壊11戸、浸水247戸[8]。
1969年(昭和44年)6月28日から7月1日 - 集中豪雨により町内各地で土砂災害多発。