安比高原スキー場
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安比高原スキー場
安比高原スキー場(2023年1月)
所在地岩手県八幡平市安比高原
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯39度59分40秒 東経140度57分51秒 / 北緯39.99444度 東経140.96417度 / 39.99444; 140.96417座標: 北緯39度59分40秒 東経140度57分51秒 / 北緯39.99444度 東経140.96417度 / 39.99444; 140.96417
運営者岩手ホテルアンドリゾート
開業日1981年
造設地形前森山・西森山(八幡平
標高1,328 m - 620 m
標高差684 m
最長滑走距離5,500 m
最大傾斜34
コース数21本
コース面積282 ha
索道数13本
テレインパークキッカー、ウェーブ、レール
ボックス、テーブル、
公式サイトwww.appi.co.jp/snow-mountain-resort/

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安比ゴンドラからハヤブサコース

安比高原スキー場(あっぴこうげんスキーじょう, APPI)は、岩手県八幡平市安比高原にあるスキー場。運営会社は株式会社岩手ホテルアンドリゾート。例年12月上旬から5月上旬まで滑走が可能。シンボルは、4つの三角形で四季を表したマーク。

日本有数の規模を誇り、山形蔵王温泉スキー場と共に東北を代表するスキー場である。ゲレンデは標高1305m前森山と1328mの西森山に広がる。ナイター設備あり。スキー場のほかに安比高原ゴルフクラブや安比高原牧場などもあり、滞在型のオールシーズンリゾートである。開発時には亀倉雄策がアートディレクターを務め、スキー場で目に入るすべてのものは亀倉がデザインした[1]
歴史

リクルート創業者の江副浩正は社員研修施設として、1978年7月、安比高原に宿泊施設とゴルフ場、テニスコート、アーチェリー場、オリエンテーリングコースまで付いた研修施設「レクロ・エデュケーション・センター」(竜ヶ森レックのち安比レック)を完成させる[2]。この竜ヶ森レックの整備を機に、江副は折からのリゾート開発ブームに乗って、辺境の地であった安比高原に大規模なリゾートセンターを作るために奔走を始める[3]

当時、安比高原開発には20社近くが群がり、なかでも丸紅が突出していた。だが、丸紅はロッキード事件で脱落した。すると、すかさず江副は「チャンス到来」とばかりに、安比高原獲得に精力を集中させ、次第に林野庁岩手県、青森営林局等で構成する安比地区管理運営協議会も江副を頼りにするようになった[3]。江副はリクルートが安比高原にいかに全力を注ぎ込んでいるか示すために、1977年に経営が悪化していた「盛岡グランドホテル」を買収して、江副が信頼を寄せていた当時29歳の『住宅情報』編集スタッフだった高塚猛をホテルの総支配人に任命した[3]

1980年10月、安比高原の総合開発を目指す「安比総合開発」がリクルート48%、北海道東北開発公庫20%、岩手県庁5%、他に地元自治体、マスコミ、岩手銀行などが出資して発足。社長には江副が就任した。開発計画面積は3500ヘクタールで、山手線内側3分の2の広さであり、住民はゼロの無番地だった[4]

だが、安比高原開発は東北農政局や林野庁の反対があり容易に進まなかった。そこでリクルートの幹部たちは、千田正岩手県知事に事業促進を働きかけるために何度も足を運んだほか、江副個人で千田の後援会に150万円、リクルートとして150万円の献金をした。また開業後の1988年リクルート事件が発覚するが、この折には農林水産大臣を務めた加藤六月の「安比疑惑」がメディアで大きく取り上げられた。加藤の次女と秘書名義でリクルートコスモス未公開株譲渡されていたことが露呈し、大臣時代の加藤が安比開発で江副のリクルートが主導権を握れるように工作していたのではないかという疑惑であったが、国会では追及されたものの、検察は手をつけることはなかった[5]APPIロゴ (亀倉雄策デザイン)

1981年、安比高原スキー場がリフト合計6基で開業し、4年遅れてホテル安比グランドも開業した。ホテルは客室を分譲するコンドミニアム方式を前提として建設された[注 1]バブル景気四駆ブームの頃、首都圏ナンバー自動車ウサギのマークと「APPI」と切り抜かれたステッカーを貼るのがお洒落であり流行した。スキーブームが終息すると、有名歌手の屋外コンサートの共催、ゲレンデに財布を持たずにレストラン等が利用できるようキャッシュレスサービスの導入、夜間のライトアップを行うなど様々な集客策を講じた。

2000年、安比総合開発と盛岡グランドホテル等を運営する岩手観光ホテルが統合して、岩手ホテルアンドリゾートが発足した。
運営事業者

2003年1月、河野栄子リクルート社長時代にグループの借入金を減少させるため、岩手ホテルアンドリゾートを加森観光に売却した。これに伴い、リクルートは運営から撤退した[8][9]2016年6月、加森観光がルスツリゾートに事業を集中させるため、アジアゲートホールディングスと海外投資家が設立した特定目的会社に岩手ホテルアンドリゾートを売却した[10][11]。このため運営事業者は再度変更になった。
沿革

1980年昭和55年) - リクルートを筆頭株主とする第三セクター、安比総合開発株式会社設立。

1981年(昭和56年) - 安比高原スキー場開業。ペアリフト4基。シュレップリフト2基。合計6基。

第1リフトB(現 セントラルクワッド), 第1シュレップ(現 撤去済), 第2リフトA(現 撤去済), 第2シュレップA(撤去後にセントラル第2リフトにリプレース), 第3リフトB(現 セントラル第3リフトB), 第4リフトA(現 運休中) で開業


1982年(昭和57年) - ペアリフト2基、シュレップリフト1基, Tバーリフト2基新設。合計11基。

第1リフトC(現 撤去済), 第3リフトA(現 セントラル第3リフトA), 第2シュレップB(現 撤去済), TバーリフトAB(撤去後にセントラル第5リフトにリプレース) を新設


1983年(昭和58年) - ペアリフト5基新設。合計17基。西森ゲレンデ開発

第1リフトA(現 セントラル第1リフト), 第2リフトB(現 運休中), 第3リフトC(現 セントラル第6リフト), 西森第1リフト(現 運休中), 西森第2リフトA(現 運休中) を新設


1984年(昭和59年) - スキーセンター新設。

1985年(昭和60年) - ホテル安比グランド開業、スキースクール棟オープン、ナイター営業開始。リフト2基新設。合計19基。

第3リフトD(現 運休中) , 西森第2リフトB(現在の西森リフト)  を新設


1986年(昭和61年) - ザイラーゲレンデを新設。ナイターを山頂まで延長(その後第3リフトまで→セントラルクワッドのみと縮小)。クワッドリフト1基,ペアリフト3基を新設。合計23基。

第1リフトD(現 撤去済), 第2リフトC(現 運休中, 第4リフトB(現在のセントラル第4リフト), ザイラークワッド を新設


1987年(昭和62年) - 8人乗りゴンドラを新設。ペアリフト2基を新設。合計25基。

安比ゴンドラ, ザイラー連絡リフト, ザイラー第2リフト を新設


1988年(昭和63年) - 安比グランドヴィラ1開業、前森山東斜面にセカンド安比を新設。フード付きクワッド1基、ペアリフト2基新設。合計28基。前森山頂にレストラン、セカンド安比にスキーセンターがオープン。

まきば第1リフトAB(現 運休中), ビスタクワッド を新設


1989年平成元年) - ホテル安比グランドタワー開業。

1990年(平成2年) - 安比グランドヴィラ2開業、ザイラーゲレンデを拡張。


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