安東 次男
ペンネーム俳号 - 流火艸堂
誕生1919年(大正8年)7月7日
岡山県苫田郡東苫田村
死没 (2002-04-09) 2002年4月9日(82歳没)
東京都
職業俳人、詩人、評論家、翻訳家
言語日本語
国籍 日本
最終学歴東京帝国大学経済学部経済学科
活動期間1950年 - 2002年
主な受賞歴第12回詩歌文学館賞『流』
第14回読売文学賞『澱河歌の周辺』
テンプレートを表示
安東 次男(あんどう つぐお、1919年(大正8年)7月7日 - 2002年(平成14年)4月9日)は、日本の俳人、詩人、評論家、翻訳家。俳号は流火艸堂。 1919年(大正8年)岡山県苫田郡東苫田村(現在の津山市)生まれ。小学5年時に一家で神戸に移住。1937年 旧制第三高等学校文科丙類(フランス語)に入学。1941年(昭和16年)頃より「寒雷」に投句、加藤楸邨に俳句を学ぶ。1942年(昭和17年)東京帝国大学経済学部経済学科を卒業。海軍に志願し、敗戦時は、海軍主計大尉。戦後、都立桜町高校社会科教諭、國學院大學フランス語講師など。 1949年(昭和24年)、詩作に転じ、抵抗派詩人として注目され始める。1950年(昭和25年)詩集『六月のみどりの夜は』(コスモス社)翌年6月、第二詩集『蘭』(月曜書房)を、刊行するなど、旺盛に詩や評論を発表する。40代頃より、深い古典への造詣をふるって、松尾芭蕉の連句評釈を始め、古俳諧・百人一首・和歌・俳諧師・蕪村の伝記などの随想・評論を盛んに記す。 1990年頃より「寒雷」にふたたび俳句の発表をはじめる。現代詩を学んだ分、俳句においては古典趣味であった。1997年(平成9年)、句集『流』で第12回詩歌文学館賞受賞。2001年(平成13年)頃から、持病の肺気腫と気管支喘息が悪化。2002年(平成14年)4月9日、呼吸不全のため死去。享年84(満82歳)。4月16日、新宿区信濃町の千日谷会堂にて葬儀・告別式。葬儀委員長・中村稔、開式の辞・飯島耕一、弔辞・粟津則雄と大岡信であった。 青土社で『安東次男著作集』(全8巻、1974-77年)が刊行されている。
目次
1 来歴
2 著書
2.1 句集
2.2 詩集
2.3 評論
3 共編著
4 翻訳
5 脚注
6 参考文献
7 外部リンク
来歴
著書
〈第1巻〉1977年3月25日、「六月のみどりの夜は」ほか詩集など
〈第2巻〉1976年1月30日、「芭蕉」ほか
〈第3巻〉1975年4月25日、「芭蕉七部集」評釈ほか
〈第4巻〉1974年12月15日、「与謝蕪村」ほか
〈第5巻〉1975年1月30日、「百首通見」ほか
〈第6巻〉1976年6月20日、「花づとめ」ほか
〈第7巻〉1975年9月20日、「抵抗期」に入る詩人像 アラゴン「リラとバラ」覚書ほか
〈第8巻〉1975年2月28日、美術評論など
句集
『裏山』(1972年、卯辰山文庫)
『昨』(1979年、卯辰山文庫)
上記2点『俳句の現在 別巻1』に収録、三一書房、1987年9月、ISBN 978-4380875519