安明進
[Wikipedia|▼Menu]

アン・ミョンジン
安 明進
生誕 (1968-08-26)
1968年8月26日
 朝鮮民主主義人民共和国 黄海北道 平山郡
失踪2016年9月30日以前
中華人民共和国
国籍 大韓民国
テンプレートを表示

安明進(アン・ミョンジン、???、1968年8月26日 - 消息不明)は、北朝鮮の元特殊工作員

1993年に脱北し、大韓民国に亡命。北朝鮮では、朝鮮労働党中央委員会直属政治学校でスパイとしての教育を受けた。そこで1977年に新潟市で失踪した横田めぐみを目撃したという発言が突破口になり、1978年に起きた一連のアベック失踪事件や、ヨーロッパに留学したまま行方不明になっていた日本人が北朝鮮に拉致されていたことが解明された。彼が北朝鮮で目撃した拉致被害者は、横田のほか、市川修一蓮池薫寺越武志加藤久美子古川了子藤田進、田中実ら多数にわたる[1]

2016年後半、彼は中華人民共和国で失踪したが、北朝鮮、中華人民共和国のいずれか、または両国の情報工作員によって殺害された可能性がある[注釈 1]
経歴

1968年8月26日朝鮮民主主義人民共和国黄海北道平山郡生まれ[2]。8年制の外国語学院で学んだ後、1987年朝鮮労働党中央委員会直属政治学校に入学し、そこで北朝鮮特殊工作員として6年間にわたる厳しい教育と訓練を受けた[2]

1993年5月、朝鮮労働党三号庁舎作戦部所属の715連絡所に配属され、韓国への潜入を命ぜられる[2]。同年9月、韓国に潜入する特殊部隊の一隊員として非武装地帯を隠密行動中、非武装地帯の南側で韓国軍に投降し、亡命を果たした[2][3][4][5]

安明進に亡命を決意させたのは、スパイ教育を受ける中で金賢姫の手記『いま、女として』(1991年)を読んだことであったという[6]。当該書籍を朝鮮総連が翻訳したものが平壌に送られて工作員養成学校にも置かれ、「第二の金賢姫」が現れないよう手記を読ませたうえで注釈する方法がとられたが、安はこの書を読んですぐさま韓国は金賢姫を死刑に処してはいない事実に思い至った[6]。115人を犠牲にしたテロリストさえ命を奪われていないのだから、まだ何一つテロ行為をしていない自分が、いまこの段階で脱北して韓国に行っても絶対に死刑にはならない、安はそう確信したのだという[6]。また、彼は「対南工作」のための「韓国人化(現地化)教育」を受けているうちに、むしろソウルの街に憧憬をいだくようにもなっていたのである[6]

1997年2月3日、日本人ジャーナリストの高世仁日本電波ニュース社)に対してソウル特別市で「88年9月から91年初めにかけて金正日政治軍事大学(朝鮮労働党中央委員会直属政治学校)で、行方不明になっている横田めぐみさんを見た」と証言した[7]。この発言が突破口になり、1978年に起きた一連のアベック失踪事件の失踪者や、ヨーロッパに留学したまま帰国せず、消息不明になっていた日本人が実際には北朝鮮によって拉致されていたことが解明された。

高世から安証言がもたらされた翌月、横田滋早紀江の夫妻は韓国を訪れ、安明進と面会した[7]。2人は、亡命工作員というのだから、きっと怖い人なのだろうと想像していたが、実際には礼儀正しい好青年で、夫妻はこの人の言っていることは決して嘘ではないと感じたという[7]。そして、安の話を聞くうちに、彼もまた国家に召喚されて工作員に仕立て上げられ、いままた故国にのこした家族を案ずる「体制の犠牲者」なのだと感じた[7]。早紀江は、別れ際に彼に次のような言葉をかけた[7]

めぐみのことを、よく話してくださいました。私は毎日めぐみちゃんのことを祈っていますが、これからは安さんのご家族のことも一緒にお祈りさせていただきます。

実はこの日、安明進は拉致被害者の両親に会わせられることを直前に知って、その場から逃げ出そうとしていたという[7]。自分は実行犯ではないにせよ、同じ組織にいた人間として被害者家族に会わせる顔がないという心持ちだったろうと思われる[7]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:38 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef