安政江戸地震
安政の大地震絵図
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震源の位置
本震
発生日1855年11月11日[1]
発生時刻午後10時(日本標準時)
震央 日本 江戸直下
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度39分 東経139度48分 / 北緯35.65度 東経139.8度 / 35.65; 139.8
安政江戸地震(あんせいえどじしん)は、安政2年10月2日(1855年11月11日)午後10時ごろ、関東地方南部[2] で発生したM7クラスの地震である。世にいう安政の大地震(あんせいのおおじしん)は、特に本地震を指す[3][4][5] ことが多く、単に江戸地震(えどじしん)とも呼ばれる[6]。
南関東直下地震の一つかと考えられている。 特に強い揺れを示したのは隅田川東側(江東区)であった。隅田川と江戸川に挟まれた沖積地が揺れを増幅したものと考えられる[7][8]。震度6以上の揺れと推定されるのは江戸付近に限られる一方で、震度4以上の領域は東北地方南部から東海地方まで及ぶ[9]。 近代的な観測がなされる前(明治17年以前)に発生した歴史地震であるため、その震源やメカニズムについては諸説があり、各地の地震被害資料や前兆現象の記録などから、北アメリカプレート内部の内陸地殻内地震(大陸プレート内地震)、北米プレートに沈み込むフィリピン海プレートによるプレート境界地震、フィリピン海プレート内部のスラブ内地震、北米プレートに沈み込む太平洋プレートによるプレート境界地震などと推定されている。震源は東京湾北部・荒川河口付近、または千葉北西部と考えられている。 震源の深さについても諸説あり、深さ約40km以下の浅い場所で発生したM6.9の地震とするもの[10]、フィリピン海プレート上面で発生したプレート境界型地震[11]、古記録から初期微動の継続時間が約10秒と読み取れることから深さ100km程度[12]、などである。 東京湾北部の市川市付近で深さ70kmのフィリピン海プレートに関係するものだとされた[13]。 震度分布を東北や北信越まで広げて分析した結果、フィリピン海プレート内部地震である2005年の千葉県北西部地震(深度74キロメートル、M6)と類似点が大きく、同地震での深度を約60キロメートルでM7と設定してシミュレーションした時、隅田川河口付近の活断層を震源とした場合では生じてしまう関東各地の震度分布の不整合が克服され、文献等の記録とほぼ一致する[9][14]などの報告がある。 河角廣は現・足立区付近(北緯35.8°、東経139.8°)に震央を仮定しMK = 4としてマグニチュード M = 6.9を与えていた[15]。宇佐美(2003)は M = 7.0-7.1としている[6]。引田(2001)は強震動のシミュレーションから M = 7.4が妥当としている[16]。 この地震に関する古記録は江戸時代末期であったため、歴史地震としては非常に多く残されている[17][18][19][20][21]。 街道推定震度[6]
地震の概要
規模
被害の状況
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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