安房郡(あわぐん)は、千葉県(安房国)の郡。大化の改新の後に安房神社の神郡として建郡(立評[注 1])され、その後幾多の変遷を経て、現在の安房郡は以下の1町よりなる。
鋸南町(きょなんまち)
人口6,324人、面積45.17km²、人口密度140人/km²。(2024年4月1日、推計人口)
古代藤原宮跡出土木簡(複製)「上?国阿波評松里」の表記が見られる。奈良県立橿原考古学研究所附属博物館展示。
阿波国造の領域を中心に編成された。養老2年(718年)までは上総国に属し、安房国の設置に伴いその管轄になった。大化から天武天皇期にかけて順次設置されたとされる八神郡のひとつであり、安房坐神社(安房神社)の所在地として重んじられ、文武天皇4年(700年)2月5日には郡司に近親者の連任が許されている[注 2]。一般に郡を治める郡司に近親者を続けて任命することは禁止されていたが、安房郡では神社を代々まつってきた安房国造一族が重視されたものである。
なお、藤原京出土木簡に「己亥年十月上挟国阿波評松里」(己亥年は西暦699年)とあり、また平城宮木簡に「上総国阿波郡片岡里服織部……」とも見え、上挟(上総)、阿波(安房)、評(郡)の表記であったものと考えられている。 『和名類聚抄』に記される郡内の郷(7郷+神戸)。大田、塩海、麻原、大井、河曲、白浜、神余、神戸 神名帳比定社集成 元は安房国の南西部のみを領域とし、その北西部の浦賀水道沿岸および平久里川流域は平群郡(のち平郡)、北東部の加茂川流域は長狭郡、南東部は朝夷郡に属していた。郡制施行時の1897年(明治30年)に平郡以下の3郡を編入して安房国全域が安房郡1郡のみとなった。2006年(平成18年)に郡内の7町村が合併して南房総市となった結果、現在は旧平郡の鋸南町のみが属する。 1878年(明治11年)に行政区画として発足した当時の郡域は、概ね以下の区域にあたる。
郷
式内社
社名読み格付記社名所在地備考
安房郡 2座(並大)
安房坐神社アハノ-名神大月次新嘗安房神社千葉県館山市大神宮安房国一宮 ⇒[1]
后神天比理乃当ス神社ミメノ-アメヒリノヒメノ-大元名洲神(論)洲崎神社千葉県館山市洲崎 ⇒[2]
(論)洲宮神社千葉県館山市洲宮
中世以降
郡域
館山市(平久里川以南)
南房総市(池之内・中・御庄・山名・白浜町滝口・白浜町根本)
町村制以前の沿革
「旧高旧領取調帳」に記載されている明治初年時点での当郡域の支配は以下の通り。●は村内に寺社領が、○は寺社除地(領主から年貢免除の特権を与えられた土地)が存在。
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