「サバト」はこの項目へ転送されています。魔女の集会については「サバト (魔女)」を、作家については「エルネスト・サバト」をご覧ください。
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やノートページでの議論にご協力ください。安息日(あんそくじつ、あんそくにち、あんそくび〈日本語での読み方を参照〉、ヘブライ語: ???、英語: Sabbath)は、アブラハムの宗教(ユダヤ教・キリスト教・イスラム教)において、何もしてはならない日と定められた日である。ツァドク暦の一週間の7日目。 旧約聖書の『創世記』で啓典の神が天地創造の7日目に休息を取ったことに由来し、何も行ってはならないと定められた日とされている。週の7日目と定められており、土曜日にあたる。旧約聖書の1日は、基本的に日没で区切るので、「土曜日」というのは深夜を一日の始まりとする現代の時法でいえば金曜日の日没から土曜日の日没までの間を言う。バビロニアの七曜制や他言語の土曜日を表す単語がシャバットに似ていることにも類似性がみられる。 ユダヤ教では、安息日は聖なる日であり、戒律としていかなる労働も行わないことを求められる。キリスト教では、それは厳密に求められることはない。なお、キリスト教の大部分では教会に集まって礼拝を行う日は、基本的に日曜日になっている。 「労働をしてはならない」の範囲は宗教によりかなり差異があり、ユダヤ教では基本的に厳格であり、家事を含め日中は一切の労働を行わない。人命の救助など緊急の場合には安息日でも労働を行ってよいとされているが、タルムードに厳格な人々からは非難され救急車に投石されることもある。キリスト教では歴史的には安息日の休日が重視されたが、一部の教派を除きそれほど強い禁止はない。ピューリタン(改革派)の教派では、娯楽などもつつしみ神の崇拝に専念する日とする考え方がみられるが、キリスト教全般の傾向からすれば、むしろ例外に属する。 ユダヤ教の暦の中で、安息日は一番大切な日である。それは『出エジプト記』20章と『申命記』5章に記されている十戒の中で守ることを教えられている日であるからである。安息日(ヘブライ語: ??? シャバット)は、救世主の時代の前兆である。 『出エジプト記』20章では、神が天地創造において7日目に休まれて、この日を祝福し聖であると宣言したゆえに、安息日を覚えて聖なる日とし、労働してはいけないことを教える。また『申命記』5章では、神がユダヤ人をエジプトの奴隷状態から連れ出して休みを与えたゆえに、安息日を覚えて聖別し、労働してはいけないことを教える。 したがって、ユダヤ教で安息日は、神が天地を創造したことを覚えるとともに、神がユダヤ人の歴史を救い、ユダヤ人が神の民であることを覚える記念日でもある。この日は捕囚期以後、シナゴーグにつどい、神を礼拝する日となった。 イスラエルでは、シェバト(シャバット)には機械の操作や火を扱うことができない(『出エジプト記』35章3節)とされている。このため、厳格なユダヤ教徒は金曜日の日没前までに食事の支度をし、安息日である土曜日は調理を行わない。安息日の食事として、金曜日の日没前に煮立たせてから燠火にかけて一晩中低温調理するチョレントや、金曜日の日没前に調理して冷めたものを食べるゲフィルテ・フィッシュが生まれたのはこのためである。 また、イスラエル国内ではユダヤ・アラブ間における「共存」を目指しているとされているハイファ、ならびにアラブ系イスラエル人の都市や村落などを除きバスや鉄道など公共交通機関はすべて運休するうえ、国営航空会社もすべての航空便の運航を停止する(ただし、「シェルート〈????〉」という乗り合いタクシーは、上述のハイファだけではなく、テルアビブやベングリオン国際空港などにおいても運行されている)。スポーツ界では、国際大会に出場予定だった選手が、競技の日程が安息日と重なったとして欠場したケースもある。シャバトになるとエレベーターが各階停止の全自動運転になるところがある。これは「ボタンを押す」ことによって電気スイッチ内に火花が飛び「灯火する」ことを避けるためである。また同じ理由から電話番号を音声認識する「コーシェル・フォン(シャバットフォン)」なる電話機も存在する。それ故、ユダヤ教徒は安息日である金曜日の日没から土曜日の日没までは、本来は宗教的な観点から禁煙をしなければならない。しかし、ユダヤ教徒であるユダヤ系イスラエル人が安息日に喫煙を行うことは、宗教的にみればタブー視されるが成人であるならばイスラエルの法律に対する違法行為ではない(ただし、イスラエルにおいては、路上における喫煙行為は、民族や宗教に関わりなく2007年11月からは非合法とされている)。また、ユダヤ教とはいえどもあまり厳格でない宗派も改革派を中心に存在し、普通の家庭生活を送っているユダヤ教徒もいる。 旧約聖書によると安息日は土曜日であったが、キリスト教における重要な事項である「イエス・キリストの復活[1]」「復活したキリストが弟子たちに現れた日[2]」「聖霊降臨(ペンテコステ)[3]」が起こった日は、すべて「週の初めの日」すなわち日曜日である。このためヨハネの黙示録1章10節の「主の日」に基づき、キリストの復活を記念し、復活の日である日曜日を「主日」(または「主の日」「聖日」)と呼び、礼拝を行うようになった。また、主日を特に記念して聖餐式を行ったのはキリスト教のごく初期からのことである[4]。 その後ローマ帝国において321年3月7日、ローマ皇帝コンスタンティヌス1世が日曜休業令を発布して安息日を取消し、日曜日を礼拝日とした[5]。 ヘンリー・シーセン
概要
各宗教での扱い
ユダヤ教家電製品における対応例については「安息日モード」を参照
キリスト教
ジャン・カルヴァンは著書『信仰の手引き』において、主日(日曜礼拝)と安息日について次のように述べている[7]。
『従ってこの日(安息日)を迷信的に遵守することは、キリスト者から遠ざけられねばならない。』
『旧約の安息日は廃止された』
『ユダヤ人によって守られた日は捨てられた。(それが迷信を駆逐する良策だったからである。)その代わりに、この用のために他の一日が制定されたのである。つまりこれは、教会の秩序と平和とを守り保つために必要である。』
またその歴史の中で主日=安息日と考え、それを極度に厳守すべきであると主張する「安息日厳守主義」も現れた。