安城市_(京畿道)
[Wikipedia|▼Menu]

京畿道 安城市ソイル農園
位置

各種表記
ハングル:???
漢字:安城市
片仮名転写:アンソン=シ
ローマ字転写 (RR):Anseong-si
統計(2023年
面積:553.47 km2
総人口:189,034[1]
男子人口:97,738 人
女子人口:91,296 人
行政
国: 大韓民国
上位自治体:京畿道
下位行政区画:1邑11面3洞
行政区域分類コード:31220
安城市の木:イチョウ
安城市の花:レンギョウ
安城市の鳥:カササギ
自治体公式サイト: ⇒安城市
テンプレートを表示
安城市庁

安城市(アンソンし)は、大韓民国京畿道の南部にある市である。

近世(朝鮮王朝時代)には鍮器の製造をはじめとする商工業で栄えた。朝鮮語で「おあつらえ向き」を意味する慣用句「????(アンソンマッチュム)」は、この町の鍮器生産に由来すると説明される(#アンソンマッチュム)。
地理

東部は車嶺山脈に連なる山地となっており、忠清北道との境界に位置する南部の瑞雲山(547m)が最高峰である。安城川が市内に源を発して西に流れている。

西に平沢市、北に龍仁市、東に利川市、東南に忠清北道鎮川郡、西南に忠清南道天安市に隣接する。
歴史

古代には奈兮忽(ネヘホル)と呼ばれ、百済高句麗新羅がせめぎあう土地であった。6世紀半ば、百済の威徳王と高句麗の陽原王が争った熊川城を安城付近に比定する説もある。新羅時代には白城郡が置かれて漢州に属した。高麗時代の940年に安城郡が置かれ、1018年には水州の属県となった。

朝鮮王朝時代のはじめに安城郡が置かれて忠清道に属したが、1413年には京畿道に編入された。また、現在市域に含まれている西北部の陽城は陽城県、東部の竹山は竹山都護府であった。安城は近世には商工業の中心として栄え、鍮器の生産でその名を知られた。また、男寺党などの民衆芸能の拠点のひとつとなった。

近代の地方制度改革により都護府・郡・県などの呼称が郡に統一されて安城郡・陽城郡・竹山郡の3郡が編成され、1914年には陽城・竹山の両郡が安城郡に併合された。京釜線などの主要な鉄道交通網から外れたこともあり、伝統的な安城の真鍮産業は近代になって衰えている。1937年に中心部の安城面がに昇格した。

1998年4月1日、安城郡が安城市に昇格した。
年表

757年 - 白城郡が置かれる。

940年 - 安城郡が置かれる。

1895年旧暦閏5月1日 - 公州府安城郡となる(二十三府制[2]

1896年8月4日 - 京畿道安城郡となる。(十三道制[3]

1914年4月1日 - 郡面併合により、安城郡・陽城郡・竹山郡の一部が合併し、安城郡が発足。安城郡に12面が成立。[4]

邑内面・宝蓋面・金光面・瑞雲面・薇陽面・大徳面・陽城面・孔道面・元谷面・竹一面・竹二面・竹三面

朝鮮総督府令第111号

朝鮮総督府令第111号
旧行政区域新行政区域
安城郡北里面邑内面金石里、堂旺里、沙谷里
西里面桂村里、道基里、西里、石井里、玉山里
東里面東里、場基里
鳥嶺面金光面四興里、三興里、五興里
大門面金光里、玉井里、閑雲里、玄谷里
加洞面開山里、内隅里、農村里、梧山里、玄水里
月洞面上中里、石下里、長竹里
奇村面瑞雲面新基里、新興里、梧村里、中里
松竹面松山里、松井里、賢梅里
徳谷面東村里、新村里、陽村里、仁里
立長面北山里、山坪里、新興里、青龍里
木村面薇陽面康徳里、桂勒里、九水里、両辺里、保体里
晩谷面葛田里、九礼里、龍頭里、新基里
于谷面開井里、古地里、法田里、新渓里
辰頭面馬山里、陽支里、井洞里、真村里、後坪里
竹村面大徳面内里、新令里、竹里
所村面乾芝里、茅山里、?東里、蘇?里、兎?里
見乃面大農里、三閑里、辰?里
金谷面明堂里、舞陵里、素内里
加士面宝蓋面加士里、加?里、九士里、内芳里
北佐面?坪里、北佐里、新安里、烏頭里
其佐面曲川里、其佐里、仏?里
居谷面東新里、上三里、陽福里
栗洞面栗洞里、泥田里、新長里、迪加里
陽城郡邑内面陽城面旧場里、東恒里、石花里、楸谷里
金谷面蘭室里、老谷里、美山里、長西里
徳山面徳峰里、名木里、芳新里、三岩里
紙洞面桃谷里、梨?里、山井里、照日里
松五里面防築里、筆山里
孔梯面孔道面仏堂里、薪頭里、熊橋里
令通面乾川里、中?里
九千里面馬井里、万井里、両基里
道一面九龍洞面蝿頭里、龍頭里素沙里、珍沙里
元谷面盤諸里龍耳里
盤谷面月谷里、竹栢里、青龍里
元堂面内加川里、芝文里、七谷里、外加川里
升良院面山下里、聖恩里、聖住里
竹山郡蹄村面竹一面菱菊里
北二面新興里、和谷里
北一面古銀里、唐村里、芳草里
南二面松川里、月井里、長岩里、竹林里、花鳳里
南一面佳里、金山里、山北里、注川里
府一面竹二面斗?里、長渓里、長陵里
府二面梅山里、長院里、竹山里
南面唐木里、斗橋里、龍舌里、七長里
西一面竹三面内長里、徳山里、龍月里、栗谷里、排台里
西二面基率里、南楓里、内康里、麻田里、美?里、真村里
西三面加?里、東坪里


1915年6月1日(12面)[5]

竹一面が一竹面に改称。

竹二面が二竹面に改称。

竹三面が三竹面に改称。


1915年(日付不明) - 龍仁郡古三面の一部が陽城面に編入。(12面)

1931年4月1日 - 邑内面が安城面に改称。(12面)

1937年7月1日 - 安城面が安城邑に昇格。[6](1邑11面)

1963年1月1日 - 龍仁郡古三面を編入。[7](1邑12面)

1983年2月15日 - 元谷面の龍耳里・竹栢里・青龍里・月谷里、孔道面の素沙里が平沢郡平沢邑に編入。[8](1邑12面)

1987年1月1日(1邑12面)[9]

宝蓋面陽福里の一部(福巨・新基・東新谷)が金光面に編入。

三竹面南楓里・東平里・加?里が宝蓋面に編入。加?里が北加?里に改称。


1992年9月30日 - 二竹面が竹山面に改称。[10](1邑12面)

1997年6月6日 - 宝蓋面加士里・加?里の全域および大徳面乾芝里・茅山里・蘇?里の各一部が安城邑に編入。[11](1邑12面)

1998年4月1日 - 安城郡が安城市に昇格。[12](12面3行政洞)

安城邑が3つの洞に分割。

金光面農村里・玄水里が安城1洞に編入。

瑞雲面中里が安城2洞に編入。


1999年8月30日 - 金光面内隅里の一部が玄水洞に編入。

2003年7月31日 - 金光面内隅里・開山里の一部を宝蓋面・発化洞に編入。[13]

2001年6月1日 - 孔道面が孔道邑に昇格。[14](1邑11面3行政洞)

2006年10月12日 - 瑞雲面陽村里西陽村が西陽村と南陽村に分割。[15]

2007年9月 - 世界ソフトテニス選手権を開催。

行政行政区域図

都農複合形態市であり、が置かれた安城1洞、安城2洞、安城3洞と孔道の都市部、が置かれた農村部が並存する。3行政洞(33法定洞)1邑11面からなる。
下位行政区画

行政洞・邑・面法定洞・法定里
安城1洞(アンソン=イル=ドン)鳳山洞、崇仁洞、栄洞、鳳南洞、九苞洞、東本洞、明倫洞、玉川洞、楽園洞、創前洞、城南洞、加士洞、加?洞、玄水洞、発花洞
安城2洞(アンソン=イ=ドン)新興洞、仁智洞、西仁洞、石井洞、峨洋洞、桂洞、玉山洞、道基洞、中里洞
安城3洞(アンソン=サム=ドン)錦山洞、蓮池洞、大泉洞、金石洞、沙谷洞、堂旺洞、新乾芝洞、新蘇?洞、新茅山洞
孔道邑
(コンド=ウプ)両基里、熊橋里、薪頭里、中?里、龍頭里、蝿頭里、乾川里、仏堂里、万井里、馬井里、珍沙里
宝蓋面(ポゲ=ミョン)迪加里、其佐里、北佐里、上三里、新長里、陽福里、烏頭里、泥田里、仏?里、内紡里、東新里、曲川里、?坪里、九士里、加栗里、新安里、東坪里、南楓里、北加?里


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:33 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef