安元洋貴
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やすもと ひろき
安元 洋貴
プロフィール
愛称あんげん[1]、もっくん[2]、ジャス元[1]
性別男性
出身地 日本山口県[3]防府市[4]
生年月日 (1977-03-16) 1977年3月16日(47歳)
血液型B型[2][5]
職業声優ナレーター[6]
事務所シグマ・セブン[3]
公式サイト安元 洋貴|株式会社シグマ・セブン
公称サイズ(時期不明)[8]
身長 / 体重179 cm / 68 kg
靴のサイズ28.5[7] cm
活動
活動期間2003年 -
デビュー作カーネル(『ロックマンエグゼStream』)[9][10]
声優テンプレート | プロジェクト | カテゴリ

安元 洋貴(やすもと ひろき、1977年3月16日[10][11] - )は、日本男性声優ナレーター[6]山口県防府市出身、シグマ・セブン所属[3]

代表作は『鬼灯の冷徹』(鬼灯)、『弱虫ペダル』(金城真護)、『BLEACH』(茶渡泰虎)、『ヘタリア Axis Powers』(ドイツ)、『スーパーサッカー』/『NHKクロ現』(ナレーション)など[9][12]
来歴
声優デビュー前

幼い頃は、父のことが好きであり、「父のような会社員になりたい」と思っていたという[5]。小学校時代は柔道水泳ピアノなど複数の習い事を経験[11]。小学校時代の文集に「将来なりたいものは会社の部長」と書いていたという[5]

役者を志したのは高校3年生の時であり、当時は舞台やバンドをしており、人前で表現することが好きになった頃だった[5]。「受験はしない。」と親に宣言していたが、父は「馬鹿で大学行けないからそんなこと言ってるんだろ?」と挑発[11]。その時は「コノヤロウ!」と奮起し、駒澤大学法学部法律学科に進学[13][11][5]。父としては、「大学の4年間で芸事に諦めがつくはず」と目論んでいたらしい[11]。その後、姉から「演劇をやってみないか」と誘われ、元々興味があったことから役者の道に進む[14]。緊張しないという特技を持っていたのが良かったのか、1度演技を経験したときに「伸び伸び」と演じられ、「これは面白い」とのめり込む[14]

演劇だけでは食べてはいけないと、文化放送の報道部で夜勤のアルバイトを始める[14]。現場のテレビで『ルパン三世』の次元大介役で知られる小林清志の声が流れ、アニメ以外の仕事もするのだと感心していたところ、その場にいたフリーアナウンサーからナレーションという仕事だと教えられる[14]。それまで声優の仕事はアニメのみだと思い込んでいたが、いろいろな可能性があることに気づく[14]。また、舞台のアンケートで「声が変」「役に対して声が低すぎる」といった意見を多くもらっていた経緯もあり、自分の声に特徴があることは認識していたことから、声優ならば「活かすことができるかもしれない」と思うきっかけとなる[14]。声にコンプレックスがあったにもかかわらず、「そこから声優を目指したのは、ある意味発想の転換」だったと語っている[14]

両親に「ナレーターさんの学校に行きたい。自力で何とかするから認めてくれ。」と懇願し、父は烈火のごとく激怒したが、姉は「自分はもう役者を諦める。だが、奴は面白い。故に奴にはもう少しやらせてやって」と父を説得[11]。その後、父から「25歳いっぱい。それまでに結果が出なければやめろ」と条件付で許しを得て、声優を目指すことができたという[11]
声優デビュー後

声優として最初の仕事は、養成所にいたころに出演した映画日本語吹き替え[14]。その時はたった一言二言であったが、恩師の野島昭生[15]から稽古をつけてもらっていたという[11]。その後は、同じ事務所の保村真と一緒にラジオCMに出演する[14]。初めてオーディションで決まった仕事は、日本テレビの『冒険!CHEERS!!』のナレーション[14]。ベテランのナレーターが多く参加するなかで採用されたためとても驚き、のちにプロデューサーに採用理由を聞くと、安元が一番「あいさつがしっかりしていた」からだった[14]。本人はこの時、「初心忘れるべからず」をいきなり思い知らされたと語っている[14]

デビュー当初から、報道・情報・スポーツ番組などでナレーションを多く担当する[16]。「超重低音ボイス[16]」、「重厚な低音ボイス[17]」が特徴。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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