この項目では、第13代参議院議長である政治家の安井謙について説明しています。政治運動家の安井けんについては「安井けん
」をご覧ください。 日本の政治家安井 謙やすい けん
生年月日1911年3月22日
出生地 日本 岡山県岡山市
没年月日 (1986-03-10) 1986年3月10日(74歳没)
死没地東京都板橋区 日本大学医学部附属板橋病院
出身校京都帝国大学経済学部
前職安井誠一郎東京都知事秘書
所属政党(自由党→)
自由民主党
称号従二位
勲一等旭日桐花大綬章
参議院永年在職議員
親族兄・安井誠一郎(東京都知事)
第13代 参議院議長
在任期間1977年7月28日 - 1980年7月7日
天皇昭和天皇
第11代 参議院副議長
在任期間1968年8月3日 - 1971年7月17日
第12代 総理府総務長官
内閣第1次佐藤第1次改造内閣
在任期間1965年6月3日 - 1966年8月1日
第4代 自治大臣
第13代 国家公安委員会委員長
内閣第2次池田内閣
在任期間1960年12月8日 - 1962年7月18日
参議院議員
当選回数6回
在任期間1950年6月4日 - 1986年3月10日
その他の職歴
第9代 自由民主党参議院議員会長
(総裁:田中角栄、三木武夫、福田赳夫)
(1973年 - 1977年)
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安井 謙(やすい けん、1911年3月22日 - 1986年3月10日)は、日本の政治家。参議院議長(第13代)、参議院副議長(第11代)、自治大臣(第4代)、国家公安委員会委員長(第13代)、総理府総務長官(第14代)、参議院議院運営委員長(第16代)、自由民主党参院議員会長(第9代)同参議院幹事長、参議院議員(6期)。
兄は戦後、公選の初代東京都知事を務めた安井誠一郎。弟は雪印食品副社長の安井三郎[1]。 岡山県岡山市出身[1]。旧制岡山第二中学校、旧制第六高等学校文科乙類[2]、1935年、京都帝国大学経済学部卒業[1]。京都帝国大学在学中は学生運動に参加し、左翼思想に傾倒していたため周囲から「マルクス坊や」と呼ばれていた。学生時代は野球、水泳、柔道に励み[3]、柔道6段のほか空手6段[1]。1935年、南満洲鉄道に入社、終戦まで経理部に所属[3][4]。 第二次世界大戦後、初の公選により東京都知事に選出された兄安井誠一郎の秘書を務める。1950年、第2回参議院議員通常選挙に自由党公認で東京地方区(定数4)から出馬し、281,256票を獲得してトップ当選を果たした。以後、6期36年にわたり参議院議員を務め、1955年の保守合同により自由民主党結党に参加。1957年、参議院議院運営委員長に起用され、1959年まで務める。また党務では田中角栄、三木武夫、福田赳夫ら歴代の総裁の下で自由民主党参議院議員会長、参議院幹事長、東京都連会長、参議院ILO特別委員長[1]などを歴任した。 また、1957年から1986年まで、東京都国民健康保険団体連合会理事長[5]。 第5次吉田内閣で労働政務次官を務め、第2次池田内閣で自治大臣兼国家公安委員会委員長に任命され、初入閣を果たした。第1次佐藤第1次改造内閣で総理府総務長官に任命され、2度目の入閣を果たす。総理府総務長官在任中は建国記念の日、敬老の日、体育の日導入に携わった[3]。 1968年、重宗雄三参議院議長の下で参議院副議長に就任する。1971年まで3年間副議長を務め、1977年には参議院議長に就任した。1980年6月22日の衆参同日選挙では、参議院議長の職責を果たすため、自民党の党籍を離脱し、無所属で東京地方区から出馬。自民党の推薦も受け、過去最多の1,315,583票を獲得してトップ当選した。なお、安井が6回の選挙でトップ当選できなかったのは、1968年の第8回参議院議員通常選挙で、公明党の阿部憲一の得票数を約1万票下回った時のみである。同年7月7日、参議院議長を退任(後任は徳永正利)。
概要