安中榛名駅
駅舎(2024年3月)
あんなかはるな
Annakaharuna
◄高崎 (18.5 km) (23.3 km) 軽井沢►
所在地群馬県安中市東上秋間2552-5[1].mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯36度21分44.7秒 東経138度50分58.5秒 / 北緯36.362417度 東経138.849583度 / 36.362417; 138.849583
安中榛名駅(あんなかはるなえき)は、群馬県安中市東上秋間[1]にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)北陸新幹線の駅[2]。一部の「あさま」のみ停車する[4]。
歴史「北陸新幹線#歴史」も参照
北陸新幹線高崎駅 - 長野駅間のルートは、群馬・長野県境の標高差をいかにして通過するかが問題であり、当初は直線的に高崎から長野原町付近を通過して長野へ抜ける案や、松井田町(現:安中市)付近を通過して下仁田町の物見山の直下を貫く長大トンネルで佐久へ抜ける案などが検討されたが、地質的な工事の難易度、通過される軽井沢町の反対、急勾配を通過可能な新幹線車両の設計にめどがついたことなどから、高崎駅から連続30‰勾配を登坂しつつ軽井沢駅を経由し、長野駅へ向かう計画となった[5]。
このうち、高崎駅 - 軽井沢駅間のルートは2案が検討された。一つは、高崎駅を出たのちに榛名町中里見(現:高崎市中里見町)付近を通って北に迂回し、榛名山南麓の霧積山や子持山の直下を連続急勾配トンネルで抜けつつ南下し軽井沢へ抜けるという、現行ルートに近い北回り案。もう一つは、高崎駅を出たのちに榛名町下里見(現:高崎市下里見町)付近から南西に迂回し、信越本線を磯部駅 - 松井田駅間で跨ぎ(駅設置も考慮)、妙義山南麓をトンネルと連続急勾配で大きく迂回しつつ軽井沢に抜ける南回り案であった[5]。
結果、トンネル建設にあたって比較的地質が安定しており、比較的大回りとならない北回り案(開業時点で信越本線比で+0.9 km、南回り案では+約9 km)が採用されることとなった[5]。
1982年(昭和57年)には日本鉄道建設公団(以下、鉄道公団)では環境影響評価実施のために駅・ルートの概要を公表するが、この当初工事実施計画の時点では高崎駅 - 軽井沢駅間に駅は設置される計画はなかった[6]。これに対して群馬県は、同年12月に鉄道公団が環境影響評価報告書案を沿線各県に提出したのちも、新駅設置の強い要望があることを主張した上で、報告書案に対する知事意見書の提出を渋るなど慎重姿勢を取った[6]。群馬県がこのような態度をとった理由としては、整備新幹線建設にあたっては、建設のための財源枠組み計画により、群馬県なども拠出を行うことや、南回り案に見られるように松井田附近に駅が設置される噂が広まっていた経緯などがある[5]。
1985年(昭和60年)に入り群馬県では関係各所へ新駅設置について要望を重ね、同年11月には自由民主党と群馬県知事清水一郎の間で、新安中駅(仮称)設置の確約がなされた[6]。なお同年12月25日に、鉄道公団は北陸新幹線高崎駅 - 小松駅間の工事実施計画を運輸大臣に申請している[7]。この時点で工事実施計画に新安中駅の設置は組み込まれなかったものの、駅設置の要望が出ることを織り込んで、中間に水平区間を確保していたとの話もある[5]。
翌1986年(昭和61年)3月、群馬県知事の清水は鉄道公団総裁に対し、関係市町村から構成する西毛地区開発協議会が策定した、具体的な道路整備計画、駅周辺整備計画、観光開発計画を添えて、駅設置の知事要望書を提出した[7][6]。