この項目では、滋賀県の市について説明しています。過去に存在した愛知県守山市については「守山市 (愛知県)」をご覧ください。
もりやまし
守山市旗守山市章
国 日本
地方近畿地方
都道府県滋賀県
市町村コード25207-7
法人番号7000020252077
面積55.74km2
総人口84,693人 [編集]
(推計人口、2022年11月1日)
人口密度1,519人/km2
隣接自治体草津市、栗東市、野洲市
市の木クスノキ
市の花妙蓮
守山市役所
市長[編集]宮本和宏
所在地〒524-8585
滋賀県守山市吉身2丁目5番22号
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度03分32秒 東経135度59分39秒 / 北緯35.05892度 東経135.99425度 / 35.05892; 135.99425座標: 北緯35度03分32秒 東経135度59分39秒 / 北緯35.05892度 東経135.99425度 / 35.05892; 135.99425
外部リンク公式ウェブサイト
■ ― 市 / ■ ― 町・村
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守山市(もりやまし)は、近畿地方北東部、滋賀県の南西部に位置する市である。
概要
地名の由来に由来するという説や、この近辺に存在していたとされる都賀山の山守に由来するという説がある[1]。縄文時代から弥生時代の古代遺跡が多くあり、特に弥生期の巨大集落跡は、クニの初めを知る貴重な遺跡として注目されている。壬申の乱以降東西交通の要衝として、野洲川が度々戦場となった。
室町時代には一向宗門徒の近江国における拠点ともなり、また足利義昭の矢島御所(守山市矢島町)も設けられた。江戸時代は、中山道を代表する宿場町の一つとして栄え、近年京都・大阪のベッドタウンとして高い人口増加率を保持している。 鈴鹿山系から流れ出る野洲川が琵琶湖に注ぐ扇状地の南側に位置する。野洲川の流れに沿い川上から川下にかけ緩やかな斜面を形成するが標高差は20m程度でほぼ平坦地、かつては都賀山などの地名があるが、現在は山や丘と言った地形は認識されない。古来より益須の醴泉が紹介される通り、鈴鹿山系からの湧水と豊かな野洲川の流れにより、水に恵まれた土地であった。ただし、他の琵琶湖沿岸部同様に、過去においては度々起きた川の氾濫や琵琶湖水位の上昇で被害を被った。 市南部を南西から北東に江戸時代当時の中山道が横切り、守山は「京立ち守山泊り」と言われる通り、江戸時代中山道の主要な宿場として栄え、今でも旧中山道には昔ながらの家並みが残っている。旧中山道の東南に東海道本線が走り、境を越え栗東市内に東海道新幹線・国道1号から分岐して国道8号・名神高速道路がほぼ並行して走っている。また、滋賀県道11号守山栗東線が栗東市より野洲川沿い、守山市南東より北に向けてレインボーロードとなり、琵琶湖大橋を通じ堅田へとつながる。 市中心部は東海道本線守山駅の北から西にかけて旧中山道沿いへと広がる。「市役所」等行政施設や「守山市民運動公園」は更に旧中山道を越した地域にあり、琵琶湖沿岸部には「みさき自然公園」や「佐川美術館」等と言ったレクリエーション施設や文化施設がある。 昭和45年(1970年)7月の市政施行時は35,112人だったが、京阪神の通勤圏内であることや自然環境に恵まれたため人口増加が続き、43年経った2013年に人口が八万人を突破した。 これにより、滋賀県市町第8位となった。(大津市、草津市、長浜市、東近江市、彦根市、甲賀市、近江八幡市の次)
地理 守山市中心部周辺の空中写真。1987年撮影の8枚を合成作成。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成。
位置
地形
河川
主な川
野洲川
湖沼
主な湖
琵琶湖
人口
85,485人(2022年7月31日現在)
平成22年国勢調査より前回調査からの人口増減をみると、7.79%増の76,338人であり、増減率は滋賀県下19市町村中2位。
守山市と全国の年齢別人口分布(2005年)守山市の年齢・男女別人口分布(2005年)
■紫色 ― 守山市
■緑色 ― 日本全国■青色 ― 男性
■赤色 ― 女性
守山市(に相当する地域)の人口の推移
総務省統計局 国勢調査より
隣接自治体
滋賀県
野洲市
大津市(琵琶湖大橋)
栗東市
草津市
歴史 守山宿の道標。「右 中山道 并 美濃路 左 錦織寺 四十五丁 こ乃者満ミち」とある
沿革
明治
1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、野洲郡守山村・吉身村・岡村・立入村の区域をもって守山村が発足。
1904年(明治37年)2月1日 - 野洲郡守山村が町制施行して守山町となる。
1912年(明治45年)4月16日 - 隣接する栗太郡物部村に東海道本線の守山駅が開業。
1941年(昭和16年)7月10日 - 栗太郡物部村と合併し、改めて野洲郡守山町が発足。
昭和
1955年(昭和30年)1月15日 - 野洲郡小津村・玉津村・河西村・速野村と合併し、改めて守山町が発足。
1957年(昭和32年)3月1日 - 野洲郡中洲村の一部(大字新庄・服部・立田・幸津川・小浜)を編入。
1970年(昭和45年)7月1日 - 野洲郡守山町が市制施行して守山市となる。
過去には愛知県にも同名の守山市が存在したが、同市は1963年に名古屋市へ編入合併され守山区となったため、両市が同一名称を重複して名乗っていた時期は存在しない。