守口大根
[Wikipedia|▼Menu]

モリグチダイコン
収穫後のモリグチダイコン
分類クロンキスト体系

:植物界 Plantae
:被子植物門 Magnoliophyta
:双子葉植物綱 Magnoliopsida
亜綱:ビワモドキ亜綱 Dilleniidae
:フウチョウソウ目 Capparales
:アブラナ科 Brassicaceae
:ダイコン属 Raphanus
:ダイコン R. sativus
品種:モリグチダイコン

学名
Raphanus sativus L. var. longipinnatus L.H.Bailey
和名
守口大根
英名
Moriguchi Daikon

守口大根(もりぐちだいこん)は、ダイコンの品種のひとつである。

2001年に飛騨・美濃伝統野菜、2002年にあいちの伝統野菜2007年平成19年)にはなにわの伝統野菜に認定された[1]
概要

古くは大阪府守口市で栽培されていたのが起源といわれているが、現在の産地は愛知県丹羽郡扶桑町岐阜県各務原市木曽川流域のみで、生産農家が共同出荷をし、全国の漬物業者と契約栽培を行っている[2]。扶桑町では全国生産の約7割を占め、生産量国内1位である。

守口大根は淡緑色の葉で、直径3から4cm、重さは230g前後で、平均120から130cmの長さになり、長いものは180cmにまで及ぶものもある[2][3]

一般の大根に比べて身が締まって固いため、漬物に適している[4]。味は辛いとされる。守口大根は栽培効率が悪く、栽培できる土壌が限られる。収穫にはごぼう収穫にも用いられるルートディガーと呼ばれる機械を使用し、土を振動させて上方に引っ張る[4]
大阪の守口大根

16世紀頃には、摂津国大阪天満宮付近、長柄、橋寺、守口などで長大根が栽培されていた[1]。この大根は宮前大根と呼ばれていたが、河内国守口(現在の大阪府守口市)の特産であった糟漬の原料であったことから、守口大根と呼ばれるようになった[5]。その後も大阪や守口など淀川沿岸で生産されていたが、第二次世界大戦後は都市化の進行にともなって農地が減少し、大阪府内での生産は途絶えた[1]。名称の由来となった守口市では、2000年代になって大阪府での栽培復活に向けた取り組みが行われている[1]
愛知・岐阜の守口大根扶桑町山那のシンボルタワー

木曽三川の肥沃な沖積土の堆積によってできた濃尾平野は、江戸時代からすでに根菜類の産地として知られ、愛知県は今でも大根ごぼうの大産地である[6]。江戸時代には中国大陸から長大根が伝わり、大名に献上されていた[2]。17世紀には岐阜でホソリ大根や美濃干大根と呼ばれる長大根が生産されており、主に切り干し大根に使用されていた。この長大根はやがて守口漬に使用されるようになり、守口大根という名称に変わっていった[4]。戦後には愛知県にも導入された。

1950年昭和25年)の岐阜県岐阜市内では、則武、島一帯で作付けが行われており約10万貫が生産。地元消費のほか大阪、名古屋へ出荷されていた[7]
生産量日本一へ

現在、扶桑町の生産量は全国生産の約65?70%を占め日本一の産地を形成している[8]。市場に流通する守口大根は扶桑町と岐阜県岐阜市の2地域のみで生産されている[4]。生産者は少なく、扶桑町に5軒、岐阜県に4軒しかない[9]。また、岐阜市の農家は各務原市川島地区笠松町にも出作している[10]。これらの地域は水はけが良いことや、木曽川長良川に面した地域の地質が砂状で柔らかく、粒子の細かい適度に砂の混ざった土壌であることから、地下へ細く長く伸びる当品種の生産に適しているとされる。生産者と漬物業者との契約によって栽培量が決められているため、一般の商店に生の守口大根が並ぶことはない[4]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:30 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef