宇高航路
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この項目では、航路全般について説明しています。かつて国鉄およびJR四国が運営していた鉄道連絡船については「宇高連絡船」をご覧ください。

座標: .mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯34度24分29.75秒 東経133度59分2.49秒 / 北緯34.4082639度 東経133.9840250度 / 34.4082639; 133.9840250高松港沖にて行き交うフェリー。左が四国フェリー(第八十七玉高丸)で右が宇高国道フェリー(こくどう丸)宇野港 前方右側が宇高国道フェリー、左側が四国フェリーの宇高航路船宇高国道フェリーと四国フェリーがネオンを競う高松港

宇高航路(うこうこうろ、うたかこうろ)は、かつて岡山県玉野市宇野港香川県高松市高松港の間で運航されていた航路である。
概要

本州四国を結んだ主要航路の一つで、国道30号の海上区間を担う。定期航路としては1910年以来109年の歴史を有していた。国有鉄道の宇高連絡船を端緒としており、国鉄JR四国により宇野駅 - 高松駅間の鉄道連絡船を運航していたほか、戦後は民間3社がフェリー航路を運航し、末期を除いては終夜運航を実施していた。

宇高連絡船を除く民間航路は以下の事業者により運航されていた。

四国フェリー(四国急行フェリー) - 最期まで当航路を運航していた事業者で[1][2]、2019年12月15日の運航を最後に休止[1][2]

津国汽船(本四フェリー) - 日本通運と提携して運航を開始。2004年3月より四国フェリーとの共同運航となったのち2009年3月31日の受け持ち便をもって休止した。

宇高国道フェリー(国道フェリー)[注 1] - 2012年10月17日の運航を最後に休止。「宇高」の読みは「うこう」ではなく「うたか」である。休止後、運航休止期間(1年間)を延長したが、2014年10月17日の期限到来に際して事業者からの告知や報道は特になされていない。

宇高国道フェリー撤退を持って直行便が消滅しており、代替案としてフェリーのみで宇野港 - 高松港を直接行き来する場合は宇野港 - 豊島家浦港 - 豊島唐櫃港 - 小豆島土庄港 - 高松港、宇野港 - 直島宮浦港 - 高松港となる。本州の他方面との行き来の場合は新岡山港 - 小豆島土庄港 - 高松港、神戸港 - 小豆島坂手港 - 高松港が国土交通省四国運輸局により策定されている[3]
歴史

1910年明治43年)6月12日:【鉄道院(国鉄)】宇高連絡船就航。宇高航路開設。

1920年大正9年)5月15日:【鉄道省(国鉄)】鉄道院が鉄道省に昇格。

1943年昭和18年)11月1日:【運輸通信省(国鉄)】逓信省と合併し、運輸通信省鉄道総局に改組。

1945年(昭和20年)5月19日:【運輸省(国鉄)】運輸通信省の外局の通信院を内閣所轄の逓信院として分離させたことに伴い、運輸通信省鉄道総局が運輸省鉄道総局に改組。

1949年(昭和24年)6月1日:【日本国有鉄道(国鉄)】宇高連絡船を公共企業体日本国有鉄道(国鉄)に承継。

1950年(昭和25年)3月25日:【国鉄】紫雲丸、直島水道にて鷲羽丸と衝突し1度目の沈没。

1955年(昭和30年)5月11日:【国鉄】濃霧の中、紫雲丸第三宇高丸が衝突して前者が沈没し168人死亡する事故が発生(紫雲丸事故(2度目の沈没事故)国鉄戦後五大事故の一つ)。この事故をきっかけに、本四架橋(本州四国連絡橋)の構想が具現化していった。また、この事故をきっかけに乗客が乗った客車の航送は中止。事故を受けた組織見直しで国鉄四国支社(のち四国総局)に宇高船舶管理部を設置。

1956年(昭和31年):【四国自動車航送】定期貨物航路(貨物カーフェリー)開設。四国自動車航送は現・四国フェリー(以下四国F)。

1959年(昭和34年):【津国汽船】航路開設(日本通運と提携)。

1961年(昭和36年)8月:【宇高国道フェリー(以下国道F)】航路開設。

1966年(昭和41年)12月:【四国F】航路開設(旅客扱)。

1972年(昭和47年)11月8日:【国鉄】宇野・高松間の超高速輸送を目指し、ホーバークラフト就航。

1985年(昭和60年)12月:【国鉄】ホーバークラフトのドック入り時と多客期の臨時便として、高速艇が就航。

1987年(昭和62年)4月1日:【四国旅客鉄道株式会社(JR四国)】国鉄が分割民営化しJRへ。連絡船・ホーバークラフト・高速艇の運航は四国旅客鉄道株式会社(JR四国)が引き継ぐ。

1988年(昭和63年)4月9日:【JR四国】瀬戸大橋の完成に伴い、JRの快速電車マリンライナーで海を渡れるようになったため、橋開通の前日を以て連絡船とホーバークラフトが廃止。高速艇は存続。

1990年平成2年)3月31日:【JR四国】利用客が見込めなくなり高速艇が運航休止[4]

1991年(平成3年)3月16日:【JR四国】再開されないまま高速艇が廃止。連絡船就航から81年を以てJRが宇高航路から撤退。

2004年(平成16年)3月1日:【四国F・津国汽船】共同運航。

2008年(平成20年)

4月1日:【国道F】50往復(5隻)から37往復(4隻)に減便。

9月1日:【四国F】50往復を平日44往復、休日40往復に減便。合計1日平日81往復、土休日77往復。


2009年(平成21年)

4月1日:【津国汽船】運航休止。事実上の廃止。【四国F】単独運航。平日44往復(5隻)から40往復(4隻)に減便。合計1日77便。

5月16日:【国道F】土休日37往復から34往復に減便。【四国F】土休日40往復から34往復に減便。合計1日68往復。

12月20日:【国道F・四国F】共同運航。各フェリー1日22往復に減便。合計1日44往復。


2010年(平成22年)

4月1日:【国道F】1日22便(3隻)から16便(2隻)に減便。合計1日38往復。

5月22日 - 6月13日:香川県内で「船の祭典2010」を開催。

6月12日:宇高航路開設100周年。JR四国が宇高連絡船メモリアルクルーズを実施[5]

7月6日:【国道F】1日16便(2隻)から22便(3隻)に増便。合計1日44往復[注 2]

12月16日 - 2011年2月10日:【国道F】ドックダイヤのために1日18往復(2隻)に減便。

12月18日:【国道F・四国F】若者マイカー割引を2011年1月10日までの高速道路料金上限1000円となる日に実施[注 3]


2011年(平成23年)2月11日:【国道F】ドッグダイヤ終了により1日18便(2隻)から22便(3隻)に増便。

2012年(平成24年)

6月3日:【国道F】終夜運航を中止し、1日13往復に減便[6]。四国Fは現状維持(1日22往復、終夜運航)。

10月1日:【四国F】同日より徒歩・自転車・二輪・乗用車・軽自動車の運賃が数百円の値上げとなる。一部トラックは据え置くが年間契約の割引運賃は値上げ予定[7][8]

10月18日:【国道F】2013年10月までの予定で航路休止(13往復→0往復)[9][10]


2013年(平成25年)

4月1日:【四国F】運航を子会社の四国急行フェリーに移管(22往復、休日1往復増便)[11]

9月:【国道F】運航休止期間の1年延長を四国運輸局に届け出[12]


2014年(平成26年)


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