この存命人物の記事には、出典がまったくありません。信頼できる情報源の提供に、ご協力をお願いします。存命人物に関する出典の無い、もしくは不完全な情報に基づいた論争の材料、特に潜在的に中傷・誹謗・名誉毀損あるいは有害となるものはすぐに除去する必要があります。
出典検索?: "宇野博之"
宇野 博之
うの ひろゆき
選手情報
フルネーム宇野 博之
ラテン文字Hiroyuki Uno
国籍 日本
種目長距離走
所属Honda
大学東洋大学
生年月日 (1989-12-21) 1989年12月21日(34歳)
生誕地埼玉県寄居町
自己ベスト
5000m13分55秒26
10000m28分55秒32
編集
宇野 博之(うの ひろゆき、1989年12月21日 - )は、埼玉県寄居町出身の元陸上競技選手。専門は長距離種目。武蔵越生高等学校、東洋大学経済学部卒業。Honda陸上競技部に所属した。 東洋大学陸上競技部時代の同級生には、柏原竜二や山本憲二がいる。 1年時から駅伝メンバーとして活躍。第20回出雲駅伝では2区区間6位。第85回箱根駅伝では4区区間9位。 2年時の第41回全日本大学駅伝では2区区間8位。第86回箱根駅伝では1区区間5位と好走。チームの総合連覇に貢献した。 3年時の出雲・全日本はメンバーから外れたが、第87回箱根駅伝では4区を担当し区間3位(4人抜き)の好走。チームの往路3連覇に貢献した。 4年時は副主将に就任。第43回全日本大学駅伝では3区区間2位の好走。第88回箱根駅伝1区ではハイペースの展開のなかで集団に食らいつき、トップと24秒差の4位。東洋大は2区で先頭の早稲田大学を逆転し、その後一度も首位を譲らず総合優勝。往路・復路・総合の全てで新記録を樹立した。 Honda入社後は度重なる故障に泣かされ一度もニューイヤー駅伝を走る事なく、2016年に選手を引退した。 典拠管理データベース: 人物
来歴・人物
エピソード
4年連続で箱根駅伝を走ったが、同期で4年連続出場を果たしたのは柏原竜二のみである。
川嶋伸次前監督の退任の際には号泣していた。
酒井俊幸監督から言われた忘れられない一言は 「練習実績をちゃんと書きなさい」と「今年は練習できるな」だという。
ワールドアスレティックス