宇野千代
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この項目では、小説家について説明しています。首相宇野宗佑の妻については「宇野千代 (首相夫人)」をご覧ください。

宇野 千代
(うの ちよ)
若き日の宇野千代(1930年代
誕生1897年11月28日
山口県玖珂郡横山村(現 岩国市川西
死没 (1996-06-10) 1996年6月10日(98歳没)
東京都港区虎ノ門(虎の門病院)[1]
墓地山口県岩国市教蓮寺
職業小説家随筆家編集者
国籍 日本
最終学歴岩国高等女学校(現・山口県立岩国高等学校)卒業
活動期間1921年 - 1996年
代表作『色ざんげ』(1933年 - 1935年)
『人形師天狗屋久吉』(1942年)
おはん』(1947年 - 1957年)
『刺す』(1966年)
『或る一人の女の話』(1971年)
生きて行く私』(1983年)
主な受賞歴野間文芸賞(1957年)
女流文学賞(1970年)
日本芸術院賞(1972年)
勲三等瑞宝章(1974年)
菊池寛賞(1982年)
文化功労者(1990年)
勲二等瑞宝章(1996年,没後)
デビュー作『脂粉の顔』(1921年)
配偶者藤村亮一(1911年 - 不明)
藤村忠(1919年 - 1924年
尾崎士郎1926年 - 1930年
北原武夫1939年 - 1964年
パートナー東郷青児1930年 - 1934年
ウィキポータル 文学
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宇野 千代(うの ちよ、1897年明治30年〉11月28日 - 1996年平成8年〉6月10日)は、大正昭和・平成にかけて活躍した日本小説家随筆家。多才で知られ、編集者着物デザイナー実業家の顔も持った。作家の尾崎士郎梶井基次郎、画家の東郷青児北原武夫など、多くの著名人との恋愛・結婚遍歴を持ち、その波乱に富んだ生涯はさまざまな作品の中で描かれている。日本芸術院会員。
来歴女人藝術』1928年11月号より尾崎士郎と結婚していた時期(1926年 - 1930年)に撮られた写真

山口県玖珂郡横山村(現・岩国市)出身。実家は酒造業を営む裕福な家だが、父親は生涯生業に就いたことはなく、博打好きだった。千代が幼いころに母親がなくなり、父親は千代と12歳しか違わない若い娘と再婚。千代は実母と思って育ち、大変慕っていた。この継母が「おはん」のモデルとされる[2]

岩国高等女学校(現・山口県立岩国高等学校)卒。14歳で義母の姉の子(従兄)藤村亮一と結婚するが10日ほどで実家へ帰る。小学校の代用教員となるが退職。その後朝鮮京城へ行くがとんぼ返りで舞い戻り、元夫の弟・藤村忠と結婚。京都に住んだあと上京。本郷三丁目の西洋料理店・燕楽軒で給仕のアルバイトを18日間している間に久米正雄芥川龍之介と知り合い、今東光とは親交を結んだ[3]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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