宇部新川駅[* 1]
駅舎(2021年3月)
うべしんかわ
Ube-Shinkawa
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所在地山口県宇部市上町一丁目7番7号.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯33度57分30.13秒 東経131度14分32.92秒 / 北緯33.9583694度 東経131.2424778度 / 33.9583694; 131.2424778
宇部新川駅(うべしんかわえき)は、山口県宇部市上町一丁目にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)宇部線の駅[2]。 宇部市の中心市街地に位置し、市を代表する駅である[2]。 線路名称上は宇部線単独駅であるが、運転系統上は小野田線の列車も当駅を発着する(実際の小野田線の起点は隣の居能駅である)。 1914年(大正3年)に宇部軽便鉄道の駅として開業。当初は現在の宇部中央バス停付近に所在したが、1923年(大正12年)の助田停留場 - 宇部新川駅間の線路付け替えおよび床波駅までの路線延伸に伴い、現在地に移転した。 1948年(昭和23年)の駅舎改築から30年が経過した1978年(昭和53年)6月、地元商店街側から駅前整備に合わせた駅舎改築の陳情が出され、周囲の国鉄所有地や市有地も立体的に活用して「宇部市の表玄関にふさわしい民衆駅」として再開発する構想が浮上[6]。同年11月に当時宇部市長であった二木秀夫が学識経験者や宇部商工会議所など地元代表、国鉄と市らで構成する「宇部新川駅舎改築対策協議会」を設置した[6]。 1980年(昭和55年)10月2日、宇部市から国鉄に対して駅舎改築事業の決定と予算化を要望したが、国鉄再建法の先行きが不透明であったこともあり、国鉄側は「地元で魅力のある駅舎構造となるよう検討する必要がある」と回答した[7]。これを受け協議会で駅舎に合築する商業施設の規模など具体案の作成を進め、駅ビルの規模は1万から1万5千平方メートル程度(当時の蒲田駅東口ビル・後のグランデュオ蒲田東館に相当する規模)とする計画を取りまとめた[6]。
概要
歴史初代駅舎(1914年)
1914年(大正3年)1月9日:宇部軽便鉄道開業と同時に、宇部新川駅として開業[1]。
1921年(大正10年)12月21日:社名変更により宇部鉄道の駅となる[3]。
1923年(大正12年)8月1日:助田停留場から宇部新川駅までの線路付け替えにより、現在地に移転[1]。同時に路線が床波駅まで延伸され、途中駅となる[3]。
1931年(昭和6年)7月21日:宇部新川駅から沖ノ山旧鉱駅(後の宇部港駅)までの支線開業[1]。
1937年(昭和12年)10月1日:沖ノ山旧鉱駅への支線の旅客営業休止[3]。
1943年(昭和18年)5月1日:宇部鉄道が国有化され、鉄道省宇部駅に改称[1](同時に山陽本線宇部駅を西宇部駅に改称)。宇部東線の所属となるが、宇部港駅への支線は宇部西線の貨物支線となる[3]。
1948年(昭和23年)
2月1日:宇部東線が宇部線に改称され、当駅もその所属となる[3]。宇部西線は小野田線に改称[3]。
8月:宇部線の改良事業の一環として駅舎が完成[4]。
1952年(昭和27年)4月20日:宇部線の新線として当駅 - 居能駅間が開業[1]。同時に小野田線貨物支線の居能駅 - 岩鼻駅間が宇部線に編入され、宇部線の経路が居能駅経由に切り替え[3]。それに伴い藤曲駅経由の宇部線旧線(当駅 - 藤曲駅 - 岩鼻駅間)と、当駅 - 宇部港駅間の小野田線貨物支線が廃止[1]。
1964年(昭和39年)9月15日:宇部新川駅に改称[1]。山陽本線西宇部駅の宇部駅への改称は同年10月1日[3]。混乱を防ぐためという理由で時期がずらされた。
1971年(昭和46年)10月1日:貨物取扱廃止[1]。
1985年(昭和60年)3月14日:荷物扱い廃止[1]。
1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道が継承[1]。
2021年(令和3年)
1月31日:みどりの窓口の営業を終了[5]。
2月1日:みどりの券売機プラスが稼働開始[5]。
駅舎改築構想