渡辺翁記念会館(わたなべおうきねんかいかん、英語: Watanabe Memorial Hall)は、山口県宇部市朝日町に所在する音楽ホールである。
設計者は村野藤吾であり、日本におけるモダニズム建築の代表作のひとつとして、建物は重要文化財に指定されている[1]。 UBE(旧・宇部興産)の創業者であり、宇部市の発展に大きく寄与した渡辺祐策の功績を顕彰するため、渡辺が設立に関与した沖ノ山炭鉱など、後に合併して宇部興産となる7つの会社によって組織された「渡辺翁記念事業委員会」が当館を建設し、宇部市へ寄贈する形で開館した[2]。指定管理者として一般財団法人宇部市文化創造財団が運営している[3]。 1934年(昭和9年)7月20日に渡辺が死去し、前述の委員会によって記念事業の内容が検討された際、宇部市では市民公会堂建設の必要性が高まっていた一方で費用面の目途が立っておらず、市民館の建設事業が決定した[2]。1935年(昭和10年)10月に「宇部市民館」として着工、1937年(昭和12年)3月には名称を渡辺翁記念会館に変更し、4月に竣工[2]。隣接する公園とともに宇部市に寄贈され、同年7月に開館した[2]。 会館の前面にある公園は宇部市の都市公園「渡辺翁記念公園」として管理され、「日本の歴史公園100選」に選定されている[4]。公園内には1936年(昭和11年)に彫刻家の朝倉文夫によって銅像「渡辺祐策翁像」が建立されていたが第二次世界大戦中の金属類回収令により撤去供出され、戦後の1952年(昭和27年)に再建された。 渡辺翁記念会館 設計者は村野藤吾である[1]。村野は後に宇部興産ビル(ANAクラウンプラザホテル宇部)、旧宇部銀行館、宇部興産宇部ケミカル工場事務所など、宇部市に関連した多数の建築物を設計しているが、宇部市における最初の仕事が渡辺翁記念会館であり、村野自身も「私の出世作」と語っている[5]。 渡辺翁記念会館の設計にあたって、村野は早稲田大学の音響工学者である佐藤武夫の助言を受けるなど、音楽ホールとしての音響特性に特に注意した[5]。その結果、特に舞台上で他の演奏者の演奏がよく聞こえるなど演奏に適した音響特性が実現し、1951年(昭和26年)にはバイオリン奏者のユーディ・メニューイン来日に際して演奏会場として指定されるなど、音響効果のすぐれたホールとして広く知られるようになった[5]。
概要
建築
情報
設計者村野藤吾[1]
施工沖ノ山炭鉱
構造形式RC造及びSRC造[1]
敷地面積8,910 m²
建築面積2,581.67 m² [1]
延床面積4,582 m²
階数地下1階、地上3階[1]
着工1935年10月
竣工1937年4月
文化財重要文化財
指定・登録等日2005年12月27日[1]
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