(旧)宇治電ビルディング
北西から見た宇治電ビルディング
(2011年10月)
情報
用途オフィスビル
旧用途宇治川電気本社
→関西配電本社
→関西電力本社
設計者長谷部竹腰建築事務所
施工清水組(現・清水建設)
建築主宇治川電気
事業主体株式会社宇治電ビルデイング
管理運営株式会社宇治電ビルデイング→関電不動産
構造形式鉄骨鉄筋コンクリート構造
敷地面積2,736.94 m²
建築面積1,341.92 m²
延床面積13,691.06 m²
状態解体
階数地下1階・地上9階・塔屋2階
高さ31.0 m(塔屋高37.20 m)
エレベーター数乗用3基、人荷用1基
着工1935年(昭和10年)4月2日
竣工1937年(昭和12年)4月30日
開館開所1937年(昭和12年)5月26日
解体2012年(平成24年)4月
所在地〒530-0047
大阪府大阪市北区西天満四丁目8番17号
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯34度41分51.53秒 東経135度30分15.65秒 / 北緯34.6976472度 東経135.5043472度 / 34.6976472; 135.5043472
宇治電ビルディング(うじでんビルディング)は、日本の大阪府大阪市北区西天満四丁目にある建築物である。現在のビルは二代目で2014年(平成26年)10月に竣工した。
本項では2012年(平成24年)に解体された旧ビルについて主に記述する。また、同建築物をはじめとした不動産を保有するなどして不動産業を営んでいた会社についても併せて記述する。 第二次世界大戦前に電力事業を営んでいた宇治川電気は1925年(大正14年)、大阪府大阪市北区宗是町(現・中之島)に大阪商船・日本電力との協業による大阪ビルディングを建設し、同年9月21日より本社を置いていたが[1]、業務拡大により手狭となったため、自社による社屋建設が企図され、その用地として大阪府大阪市北区梅ケ枝町164番地(現・同区西天満四丁目8番17号)の地を定めた[2]。この社屋は1935年(昭和10年)4月2日に起工、1937年(昭和12年)4月30日竣工[2]、同年5月26日に宇治川電気が全館を賃貸して同社の本社が移転入居した[3]。 新社屋への移転に先立ち、5月20日午前8時から同ビル屋上で落成式を挙行し、披露は同日から4日間行われた[4]。 宇治川電気は国家総動員法(昭和13年法律第55号)に基づく配電統制令(昭和16年勅令第832号)第2條の規定により、1942年(昭和17年)4月1日に配電会社である関西配電として統合を余儀なくされたが、当ビルは関西配電本社として引き続き使用された[5]。第二次世界大戦後の1951年(昭和26年)5月1日からは宇治川電気も系譜の一つとなる関西電力(同日発足)の本社として使用された[6]。1960年(昭和35年)、旧関電ビルディングの完成に伴い、関西電力本社が同ビルに移転して以降はオフィスビルとして運営されたが、老朽化のため2012年(平成24年)に解体された。この際、外壁に設置されていた装飾品の一部が保存されることになり、神像テラコッタ・レリーフの一部は大阪市(大阪歴史博物館)に寄贈されている[7]。 跡地には関電不動産により地上13階・地下1階建の「宇治電ビルディング」(二代目)が建築された。オフィスフロアのほか、1階には店舗区画を有している(2014年10月竣工)[8]。また、旧ビルの外壁を飾っていた神像テラコッタ・レリーフのうちの一体がモニュメントとしてビル裏側のサブエントランス脇に移設されているほか[9]、旧ビル内で使用されていたドアノブやコンセント等の備品の一部、旧ビル竣工当時の模型や説明パネル等が1階エントランスホールに展示されている。 煙突類の廃された日本初の全電化ビルで、建築費は約230万円である[2]。施主は株式会社宇治電ビルデイング、設計監督は長谷部竹腰建築事務所、建築施工は合資会社清水組(現・清水建設)である[10]。外観からは8階建てに見えるが、1階の階高が高く取られているため、実際は9階建てである[注 1]。また、ビル北面の東西両サイドに電球とモーターを持った神像テラコッタ・レリーフと[7]、それぞれの神像の上部に雲と雷と水を模したレリーフが飾られていた。 ビル正面玄関の中央部には回転ドアが設置されていたが、六本木ヒルズ森タワーの回転ドア事故後、自動ドアに変更されている。 玄関を通った突き当りにエレベーターホール(広間)があり、エレベーターが3台並列で設置されている。関西電力本社として使用されていた1950年代は、ラッシュ時に各エレベーターの停止階を変える停止階制御が行われていた(1号機:1,6,8階、2号機:1,4,5,6,7階、3号機:1,7,9階)[11]。 下記の電気設備にも記載しているが、変電所からの電力を2回線(個々750kVAの容量で常時1回線、予備1回線)で受電する。また、塔屋一階及び地階に蓄電池室を設置しており、万が一の停電時にも保安電話・局線(外線)及び予備電燈(非常灯)に電力供給が可能など、BCP(事業継続計画)という概念が一般的でなかった当時、最先端の設備を誇った。
概要
建築概要