宇治橋_(伊勢市)
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宇治橋
宇治橋
基本情報
日本
所在地三重県伊勢市
交差物件五十鈴川
用途道路橋
管理者伊勢神宮
設計者
施工者宮大工船大工間組
建設2009年11月3日
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯34度27分31.5秒 東経136度43分23.5秒 / 北緯34.458750度 東経136.723194度 / 34.458750; 136.723194座標: 北緯34度27分31.5秒 東経136度43分23.5秒 / 北緯34.458750度 東経136.723194度 / 34.458750; 136.723194
構造諸元
形式和橋
材料木材(檜)
全長101.8m
幅8.42m
地図
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関連項目
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宇治橋(うじばし)は、三重県伊勢市にある皇大神宮(内宮)参道口にある、五十鈴川にかかる[1]。別名「御裳濯橋(みもすそばし)」。日本百名橋の一つ。
概要2010年4月撮影

宇治橋は伊勢の神宮内宮の参道口にある長さ101.8m、幅8.42mの木造の和橋(わきょう、日本風の橋)で、橋の両側に神明鳥居がある。五十鈴川に架けられたこの橋は内宮参拝時の記念撮影の名所になっており、内宮のシンボルとされる。神宮の定義では宇治橋を渡った先は神域ではなく神苑であるが、崇敬者・参拝者は通常神域と扱うことから、一般に「俗界と聖界の境にある橋」とされる[1]

明治以降は神宮式年遷宮にあわせて架け替えられていた。太平洋戦争での日本の敗戦直後に昭和天皇の指示で第59回神宮式年遷宮は無期延期とされ、のちに4年遅れの1953年昭和28年)に行なわれることに決まった。しかし宇治橋だけでも架け替えようと声が強く、宇治橋だけが当初の予定通り1949年(昭和24年)に架け替えられ、以降は神宮式年遷宮の4年前に架け替えられるようになった。4年前に架け替えるようになったので社殿の造営と期間がずれ、遷宮に必要な大工の数が減らせるようになるとともに、遷宮に対する参拝客の興味を長く引き止めることができるようになり、遷宮の資金面で役立っている。
宇治橋の鳥居

橋の両側の鳥居の高さは7.44m、直径は最も太い部分で約70cm、総重量は約5tで、外側(西)の鳥居は、外宮正殿の棟持柱の古材から、内側(東)は内宮正殿の棟持柱の古材から作られる[2]。式年遷宮に合わせて20年ごとに建て替えられ、第62回式年遷宮では2014年9月29日に起工、同年10月3日に完成式を挙行した[3]。完成式では外側の鳥居に笠木をはめ込んで鳥居が完成し[3]、お祓いが行われた後、神職ら約100人がくぐり始めを行った[2]。初めて鳥居が設置された時期は不明であるが、室町時代後期の宇治橋を描いた絵には既に鳥居も描かれている[3]

明治以降、これらの鳥居が建て替えられると外の鳥居は三重県桑名市桑名宿七里の渡しで、内の鳥居は鈴鹿峠の麓にある三重県亀山市関町関宿の関の東の追分で、それぞれ神宮遙拝用の鳥居に20年間使用されている[2][4]。その後も日本各地の神社で鳥居や部材として再利用される[3]
日の出12月中旬の日の出

宇治橋は五十鈴川に対してほぼ直角に架けられており、西岸から東岸を見た場合は約30度南を向いている。宇治橋の東側には島路山があり、日の出は島路山からとなる。このため日の出が南よりからとなる冬至を中心とする約2か月の間は宇治橋の鳥居の間からの日の出となるが、永らく誰の気にも止められなかった。鳥居の正面から朝日が昇るのは冬至の前後数日に限られる[5]1980年代にこれに気付いた参拝客の情報により、神宮の広報誌の『瑞垣』(みずがき)に冬至前後は鳥居の間から日が昇ると紹介されてから有名となり、冬至前の数日から1月初旬の間は鳥居からの日の出を見る人で賑わうようになった。

2014年12月22日の冬至祭では600人が参拝し、7時30分頃に宇治橋から昇る朝日を拝んだ[5]
饗土橋姫神社詳細は「饗土橋姫神社」を参照饗土橋姫神社

宇治橋西側(宇治今在家町)に内宮所管社の饗土橋姫神社がある。祭神は宇治橋鎮守神(うじばしのまもりのかみ)で、宇治橋を守護する神社とされる[6][7]。社殿は内宮に準じ内削ぎの千木と、4本で偶数の鰹木を持つ板葺屋根の神明造で東面し、宇治橋を向いている。

中世に宇治橋が架けられた時に宇治橋の守護神として祀られたとする解釈が一般的であるが、それ以前は船着き場の守護神であったとする説がある。
宇治橋渡始式

新しい宇治橋が完成すると橋の無事を祈り、宇治橋を最初に通行する式典の宇治橋渡始式(うじばしわたりはじめしき)が行われる。当初は長寿の老人が最初に渡っていたが、1823年文政6年)の両国橋の渡初式に3代揃った夫婦が最初に渡ったことにならい、以後は3代揃った夫婦が最初に渡るようになった。
構造

宇治橋は橋脚杭のみがケヤキで、他はヒノキで作られている。橋板は近世の記録では365枚の数字があるが、1969年(昭和44年)の架け替えでは476枚とされた。長さは101.8mで、幅は1949年(昭和24年)に架け替えられた時は7.88mであったが、参拝者の増加に対応するべく1969年(昭和44年)の架け替えでは8.42mに拡幅され、橋桁が5本から7本へ増やされた。
下部構造

1969年(昭和44年)の架け替えの際にコンクリート基礎が初めて採用された。景観に配慮して基礎表面は石畳で覆われている。

橋脚は橋脚杭3本、水貫4本、筋交貫4本と梁1本から構成されており、梁の上に載せた7本の台持木に橋桁が渡されている。橋脚13組が橋体を支える14径間連続木桁橋の構造である。また、梁の両木口には小屋根と梁鼻隠が取付られ、風雨による劣化を防いでいる。
上部構造

欄干は男柱の上に取付られた16基の擬宝珠で装飾される。西詰北側の擬宝珠には、橋の安全を願う萬度麻(まんどぬさ)という御札が納められている[1]。この擬宝珠は仏教的な名称を嫌う神宮内部では葱花型金物と呼ばれている。造替にあたり他の部材が全て新調されても、擬宝珠だけは磨き上げられるのみで、擦り切れるまで繰り返し使用される。

近年は宇治橋の橋板の厚さを15cmにしているが、年間400万人前後の参拝客が通行するため橋板の摩耗が激しく、20年間では約6cm摩耗する。ではなく草履での通行が大部分であった明治以前はこれほど摩耗しなかったという。
木除杭

川の増水などでの流木などが橋脚に衝突し損傷しないように、宇治橋と風日祈宮橋(風日祈宮参道の橋)の上流側に数本の杭が立てられており、木除杭(きよけぐい)と呼ばれる。

擬宝珠


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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