宇宙飛行士一覧
[Wikipedia|▼Menu]

宇宙飛行士一覧(うちゅうひこうしいちらん)は、宇宙飛行士の一覧。(宇宙飛行関係者とされる者も含む。)

それぞれの項目の日付は当該国民が初めて宇宙飛行を行った日付である。

日本の宇宙飛行士については日本人の宇宙飛行を参照。

宇宙飛行を行った時系列の国家ランキングは国籍別による宇宙飛行の年表を参照。

このリストは非常に不完全で一部が不正確である。アメリカ合衆国国籍の宇宙飛行士だけで332人以上存在する。より正確なリストはList of space travelers by nationalityを参照。
ソビエト連邦(1961年4月12日)
ユーリ・ガガーリン
1961年4月12日ボストーク1号に搭乗し、人類で初めて有人宇宙飛行を遂げた。
ゲルマン・チトフ
1961年8月7日ボストーク2号に搭乗し、人類で初めて宇宙酔いを経験した。このときの年齢25歳は2008年現在でも宇宙飛行の最年少記録である。
ヴァレリー・ブィコフスキー
1963年6月14日ボストーク5号に搭乗し、軌道上に5日間滞在した。宇宙飛行士一人による単独飛行のケースとしては2007年現在でも最長記録である。
ワレンチナ・テレシコワ
1963年6月16日ボストーク6号に搭乗し、女性初の有人宇宙飛行を遂げた。
アレクセイ・レオーノフ
1965年3月18日ボスホート2号において、人類で初めて宇宙遊泳を行った。
ウラジーミル・コマロフ
1967年4月23日ソユーズ1号に搭乗したが、帰還時にパラシュートが展開できず地上に激突死した。有人宇宙飛行で初めての死亡事故となった。
ピョートル・クリムク
1973年のソユーズ13号、1975年のソユーズ18号でのサリュート4号1976年のソユーズ30号。
ヴャチェスラフ・ズードフ
1976年ソユーズ23号に搭乗。帰還カプセルが風に流されテンギツ湖に着水した為ソビエト連邦の宇宙飛行士で初の着水経験者となった。
スベトラーナ・サビツカヤ(Svetlana Savitskaya)
1982年8月初飛行。1984年7月25日、女性として初の宇宙遊泳を行った。
アナトリー・アルツェバルスキー(Anatoly Artsebarsky)
1991年5月18日の初飛行においてソユーズTM-12で宇宙に出、同年8月19日ソ連8月クーデター時に宇宙にいたため、10月10日に地表に戻った時には自国がロシア共和国になっていた。
トクタル・アウバキロフ(Toktar Aubakirov)
1991年10月2日、ソユーズTM-13に搭乗した。
ロシア(1991年12月26日)
アレクサンドル・ヴォルコフ(Alexander Alexandrovich Volkov)
1985年9月初飛行。1991年10月2日にソユーズTM-13で宇宙に出、セルゲイ・クリカレフとともに、同年12月26日のソ連崩壊に際して宇宙にいた二人のロシア人宇宙飛行士の一人となった。
ワレリー・ポリャコフ(Valeri Polyakov)
1988年8月初飛行。1994年のミッションにおいて、同年1月4日に宇宙に上がってから、翌1995年3月22日に帰還するまで、単一の宇宙滞在としては最長となる437日17時間58分(1年2ヶ月余り)という記録を作った。
セルゲイ・クリカレフ(Sergei Krikalev)
1988年11月初飛行。1991年5月18日にソユーズTM-12で宇宙に出、翌年3月に帰還したため、ソビエト連邦崩壊に際しての一連の事件の全ての期間において宇宙にいた唯一人のロシア人となり、「ソビエト連邦最後の宇宙飛行士」と呼ばれることもある。2005年時点で、宇宙滞在時間が最も長い宇宙飛行士であり、6回目の飛行を終えた時点で、通算803日9時間39分という記録を持つ。
ユーリイ・バツーリン(Yuri Baturin)
1998年初飛行。国防省の元アドバイザー。ロシアでは政治関係に携わっていた人間で初の宇宙飛行士。
カザフスタン(1994年7月1日)
タルガット・ムサバイエフ
1994年初飛行。1991年の時はソユーズTM-13のバックアップ。カザフスタン出身だがロシアの宇宙飛行士として活動している。
アメリカ合衆国(1961年5月5日)
初期?ジェミニ計画

初期の宇宙進出(マーキュリー計画)からジェミニ計画にかけて主な業績を打ち立てている宇宙飛行士。
アラン・シェパード
マーキュリー7の一人。1961年5月5日、アメリカ人で初めて有人宇宙飛行(弾道飛行)を遂げる。
その後、1971年にアポロ14号に船長として参加し、“マーキュリー7”の7人の中では唯一人、月面に降り立っている(史上5人目)。
ヴァージル・グリソム
マーキュリー7の一人。1961年7月21日、アメリカ人2人目となる有人宇宙飛行(弾道飛行)を遂げる。1967年1月27日アポロ1号の事故により死去。アメリカの宇宙開発計画における最初の犠牲者の一人になった。
ジョン・グレン
マーキュリー7の一人。1962年2月20日、アメリカ人3人目となる有人宇宙飛行、かつアメリカ人として初めて地球周回軌道を回った。1998年には77歳で再び宇宙に出、宇宙飛行の最年長記録を樹立した。
デイヴィッド・スコット
1966年3月16日ジェミニ8号のパイロットとして、人類史上初のランデブーと宇宙空間でのドッキングを成功させた。アポロ計画にも1969年の9号と1971年の15号で参加し、船長を務めたアポロ15号では月面に降り立った(史上7人目)。
アポロ計画(1967年)

アポロ計画の頃に主な業績を打ち立てている宇宙飛行士。
ニール・アームストロング
1966年3月16日初飛行(ジェミニ8号)。アポロ11号船長として、1969年7月19日、人類で初めて月面に立った。
エドウィン・オルドリン
1966年11月11日初飛行(ジェミニ12号)。アポロ11号パイロットとして、1969年7月19日、人類で初めて月面歩行を行った。
ジム・ラヴェル
1965年12月4日初飛行(ジェミニ7号)。1970年4月11日に打ち上げられたアポロ13号の船長として特に知られる。1973年にスカイラブ計画が始まる以前の時点では、宇宙空間に滞在した時間が最も長い宇宙飛行士だった。
ユージン・サーナン
1966年7月3日初飛行(ジェミニ9号)。1972年12月、アポロ計画最後の宇宙船アポロ17号の船長を務め、現在、月に「最後に着陸した」人物である。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:85 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef