宇宙戦艦ヤマト_復活篇
[Wikipedia|▼Menu]
.mw-parser-output .pathnavbox{clear:both;border:1px outset #eef;padding:0.3em 0.6em;margin:0 0 0.5em 0;background-color:#eef;font-size:90%}.mw-parser-output .pathnavbox ul{list-style:none none;margin-top:0;margin-bottom:0}.mw-parser-output .pathnavbox>ul{margin:0}.mw-parser-output .pathnavbox ul li{margin:0}宇宙戦艦ヤマトシリーズ > 宇宙戦艦ヤマト 復活篇

宇宙戦艦ヤマト 復活篇
監督西ア義展
白土武(チーフディレクター)
小林誠(監督代行:ディレクターズカット版)
羽原信義(アニメーションディレクター:ディレクターズカット版)
舛田利雄(総監修)
脚本石原武龍
冨岡淳広
西ア義展
原案石原慎太郎
原作西ア義展
製作植村伴次郎
西ア彰司
二宮清隆
氏家夏彦
川城和美
中沢敏明
西川孝
島谷能成
辰巳隆一
林尚樹
石井博之
高橋良太
喜多埜裕明
西ア義展
製作総指揮西ア義展
出演者山寺宏一
伊藤健太郎
浪川大輔
茶風林
野島健児
古谷徹
阪口大助
山口勝平
鳥海浩輔
高瀬右光
藤村歩
柚木涼香
大浦冬華
由愛典子
青野武
永井一郎
緒方賢一
音楽大友直人(音楽監督)
宮川泰羽田健太郎(オリジナルスコア)
山下康介(オリジナルBGM)
主題歌THE ALFEEこの愛を捧げて
撮影加藤道哉
編集西ア義展
坂本雅紀
制作会社エナジオ
製作会社『宇宙戦艦ヤマト 復活篇』製作委員会
配給東宝
クロックワークス(ディレクターズカット版)
公開2009年12月12日
2012年1月28日(ディレクターズカット版)
上映時間135分
123分(ディレクターズカット版)
製作国 日本
言語日本語
興行収入約4.3億円[1]
前作宇宙戦艦ヤマト 完結編
テンプレートを表示

『宇宙戦艦ヤマト 復活篇』(うちゅうせんかんヤマト ふっかつへん)は、2009年12月12日および2012年1月28日に公開された「宇宙戦艦ヤマトシリーズ」のアニメ映画作品である。キャッチコピーは「戦士たちよ、ヤマトに乗れ。人類を救え!」「愛のために戦え!」、「必ず此所へ帰ってくる」(ディレクターズカット版)。通称「復活篇」「ヤマト復活篇」。宇宙戦艦ヤマトシリーズ初の東宝配給作品でもある(前作宇宙戦艦ヤマト 完結編までは東映洋画配給)。

1994年および2004年に製作発表されながら実現せず、2008年に3度目の製作発表が行われ、実現した。

2009年12月に公開された。2012年1月には、本作を再編集したディレクターズカット版が公開された。

2012年、本作の続編(『宇宙戦艦ヤマト 復活篇』第2部)を製作することが発表された[注 1]が、2022年現在に至るまで制作に関する公式な進展・発表は特に無い(同年から展開を開始している『宇宙戦艦ヤマト2199』以降の3作は本作と直接関係は無い別シリーズである)。
製作の変遷
1994年?1996年、1度目の制作発表?頓挫
『宇宙戦艦ヤマト 完結編』の続編として、
1994年に最初の製作発表がなされた。大まかなストーリーや設定がメイキングビデオ『ヤマト・我が心の不滅の艦(ふね)-宇宙戦艦ヤマト胎動篇-』(『YAMATO2520』の項目を参照)や、2000年代前半のプロデューサー西ア義展の不祥事[注 2]による公判時に西アの支援者などによって開設されたウェブサイト#外部リンクの「西ア義展の手記」参照)で公開されており、ストーリー原案として作家政治家石原慎太郎東京都知事(当時)が製作に参加することが話題となった。この時はまだ松本零士が参加しており、古代進や真田志郎、佐渡酒造など『復活篇』用のキャラクターのデザインを描き起こしていることが『胎動編』で語られている。また、『胎動編』ではほかに、アニメーションディレクターとして高山秀樹、アートディレクターとして辻忠直、作画監督として大倉雅彦、キャラクターデザインとして北爪宏幸、メカニックデザインとして小林誠が紹介された。いずれも過去の、あるいは後年のヤマトシリーズに携わっている人物だが、このうち2009年公開の『復活篇』に主要スタッフとして続投したのは高山と小林だけである[注 3]。カスケードブラックホールによって地球が危機に陥り、移民を始めた地球人類が宇宙連合軍に襲われるというストーリーや、6連波動炉心や電算室を備えたヤマトの設定・デザインなど、『復活篇』の基本部分は『胎動編』の時点でほぼ固まっている。製作会社のウエストケープコーポレーションは、1995年よりOVA『YAMATO2520』をリリースしたものの、それ以前より資金難に陥っており、1996年に「宇宙戦艦ヤマトシリーズ」の著作権などを東北新社に譲渡した。譲渡契約においては、新作を製作する権利は西アに留保されている[2]。さらに1997年には、債権者である三井ファイナンスサービスがウエストケープコーポレーションおよび同社社長でもあった西アに対し、破産を申し立てた。これが認められたため、同年9月に両者は破産し、本作の製作は中止となった。また、製作中の1995年に古代進役の富山敬が逝去しており仮に予定通り制作されていた際、冨山の後任声優が誰であったかは不明である。(完成版では富山の持ち役の多くを引き継いだ山寺宏一が担当。)
2004年、2度目の制作発表?フェードアウト
その後、西アと松本は民事訴訟を経て、2003年に西アがこれまでの「宇宙戦艦ヤマトシリーズ」を利用した新作『復活編』(仮題)を、松本がこれまでのヤマトシリーズとは関係の無い新作『大銀河シリーズ 大ヤマト編』(仮題)を、各自が個別に製作すると相互に確認した。しかし、松本が製作する新作作品についてはヤマトシリーズに登場した設定、キャラクターなどを使用することを含むヤマトシリーズに類似した作品を製作する場合は著作者人格権者である西アの承諾が必要とされた。しかし西アは、松本の作品を『宇宙戦艦ヤマト』の類似作品と断定し、製作を許可しなかった。なお、西アから著作権を譲渡された東北新社はこの合意に参加しておらず、ニュースリリースで自社の独自の権利を主張した。しかし、前出の1996年の西アと東北新社間における著作権譲渡契約において、新作続編を製作する権利は西アに留保されているにもかかわらず東北新社の権利主張はそれを翻意した発表だった。2004年7月には、西アから製作委託を受けた西アの養子・西ア彰司が経営する「株式会社エナジオ」が、新作映画『新宇宙戦艦ヤマト 復活編』(仮題)を2006年に公開すると発表した[3]。同社サイトにはその公式ページも開設され、東北新社と協議に入ったとされたが、彰司が掲げた公開プランの無謀さは非難の的になり実現することは無かった。なお、この時点でキャラクターデザインとして第1作を手掛けた岡迫亘弘が起用されたが、数枚のデザインを描いたのちにプロジェクトから降板した。
2008年?2009年、3度目の制作発表?正式公開へ
2008年7月31日、西アは東京都練馬区内にて「ヤマトスタジオ」のスタジオ開きと2009年中の公開を目指した本作の製作を正式に発表し、その場で「宮崎駿の『崖の上のポニョ』を超える作品にしたい」と抱負を語った。スタッフは総監督に舛田利雄、総作画監督に湖川友謙と、かつてのヤマトスタッフが顔を揃えている。製作会社は2004年の発表時と同じく、株式会社エナジオとなる。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:146 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef